ダビデは詩篇第6篇を書きましたが、ヨブもまた、同じような思いを神様にぶつけました。
ヨブと同じように、ダビデも病に苦しみ、その苦しみが永遠に続くかのように感じていました。
さらに、神様はダビデを懲らしめるように思われましたが、ヨブと同じようにダビデもその理由を知りませんでした。(この詩篇で、ダビデは全く罪を告白していません。)
それだけでなく、ダビデの敵はその病気を見て、彼を攻撃する機会と捉えました。
それにもかかわらず、ヨブとは異なり、ダビデは神様の正義を決して疑いませんでした。
彼は、自分が神様から何ももらう価値がないことを理解していました。実際には、彼は神様の怒りに値していました。
だからこそ、自分の義によるのではなく、神様の憐れみと絶え間ない愛によって癒しを求めました。
彼は叫びました。
主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。
主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。私のたましいはただ、恐れおののいています。
主よ。いつまでですか。あなたは。
帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。(詩篇6:2-4)
しかし、ダビデが祈った時、神様の慰めを受けました。
不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。
主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。
私の敵は、みな恥を見、ただ、恐れおののきますように。彼らは退き、恥を見ますように。またたくまに。(8-10)
クリスチャンのコメディアン、マーク・ローリーはこう言いました。「私の大好きな聖書の箇所は『And it came to pass…』という箇所です。」
それはちょっとした冗談です。
「It came to pass」という表現は、少し古い英語で、「そのころ」や「ある時期になって」という意味です。
けれども、文字通りに解釈すると、「その時期はすぐに過ぎた」という意味になります。
ローリーのポイントは、「私たちの苦しみは永遠に続きません。いつか、その苦しみの時間は過ぎ去ります」ということです。
そして、彼は自分の詩篇を歌いました。
私の心には、私が一人で泣いた涙がいっぱい隠されています。
それでも、神様が近くにおられることを知っています。
神様が私の声を聞いてくださることを知っています。
この涙がいつまでも続かないことを知っています。今日の苦しみは一掃されるのです。
なぜなら、この時期も過ぎます。夜が朝になると、 私たちはその真実を見ます。
皆がトラブルを経験しますが、
そのトラブルは結局消えます。この時期も過ぎます。
この時期も過ぎます。雨垂れのように落ちる涙は結局乾きます。
この時期も過ぎます。
