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詩篇

苦しみを理解しておられる神

詩篇22篇

苦しみについてのメッセージで、私の牧師はこう言いました。

「神様は私たちの苦しみを取り除いてくださらないかもしれないけど、それは神様がおられない理由ではありません。時々、神様は私たちの望み通りに祈りに応えられないかもしれないけど、それは神様が私たちを愛しておられないわけではないのです。」

詩篇22篇では、その真理を見ることができます。ダビデは叫びました。

わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。

わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。(詩篇22:1-2)

神様が遠く離れたようで沈黙しておられた時でも、ダビデはこう言います。

けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。

彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。

彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。(3-5)

つまり、「あなたがまだ存在しておられるのを信じます。あなたは私の先祖が信頼した神で、彼らはあなたに信頼すると、結局恥を見ませんでした。だから、私はあなたが見えなくても、あなたが何をされているか見えなくても、私はあなたに信頼し続けます。」

それでも、ダビデは自分のトラブルについて神様に伝え続けました。

しかし、この詩篇で、私たちはもう一つのことを見ます。この詩篇はイエス様の苦しみも預言しています。

この詩篇は、十字架でイエス様の状態を預言しています。(14-17)

また、イエス様がからかわれることを預言しています。(7-8)

また、人々がイエス様の着物をくじ引きにすることを預言しています。(17-18)

そして、イエス様の犠牲からの勝利や、救いや、祝福を預言します。(22-31)

だから、イエス様は十字架にかけられた時、こう叫ばれました。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)

その時、イエス様はこの詩篇を自分の状況に当てはめられました。

私たちは、この箇所から何を学ぶことができるでしょうか。

私たちが苦しむ時、神様が遠く離れたように感じ、また神様が私たちを愛しておられないと思うかもしれませんが、それはただ私たちの感情です。そして、その感情は現実とは異なります。

現実は、神様がまだ私たちと共におられることです。また、神様は私たちをまだ愛しておられます。

だから、ダビデは歌います。

まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。(24)

あなたは苦しむ時、この箇所を思い出しましょう。神様は私たちの悩みを軽く見ておられません。神様は私たちから隠れません。むしろ、神様は私たちの叫びを聞いてくださいます。また、神様は私たちの苦しみをよく理解しておられます。

どうして、私はそんなことが言えるのでしょうか。なぜなら、イエス様は苦しまれたからです。イエス様にも神様に捨てられた感じもありました。イエス様も苦しみをよく経験されました。

しかし、私たちが神様に信頼し続けると、神様はイエス様の苦しみを神様の栄光のために利用されたように、私たちの苦しみも神様の栄光のために利用されます。

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