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詩篇

王様のために心を整える

詩篇24篇

詩篇23篇で、私たちは神様を羊飼いとして見ました。詩篇24篇では、神様を王として見ます。

神様はどのような理由で私たちの王であると主張しておられますか?神様は私たちの創造主だからです。ダビデはこう歌いました。

地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。

まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。(詩篇24:1-2)

大体すべての人々は、もし誰かが何かを自分の手で、また自分の原料で作ったら、その物がその人に属することを認めます。

そのように、神様はこの世の全てを造られたから、すべては主の物です。神様は私たち皆をも造られたので、私たちも神様に属します。そして、いつか私たちの王の前に私たち皆は、自分のことを申し開きすることになります。

その日、誰が神様の前に立てるでしょうか。

手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。

その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。

これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。(4-6)

この箇所によれば、「良い人生」を生きることは不十分です。

神様をあなたの王として認めなくてはなりません。あなたの神として認めなくてはなりません。また、あなたの救い主として認めなくてはなりません。それに、あなたは神様を求める心が必要です。

神様にとって、それらは大切なことです。神様は、毎日私たちが神様に信頼することを望んでおられます。その態度によって、アブラハムは救われました。

アブラハムは何回も罪を犯しましたが、心の中で神様に信頼していたので、彼は神様の目には義人と認められました。

その信仰によって、旧約聖書の人々も、新約聖書の人々も、私たちも救われました。

神様はそのような人を祝福し、裁きの日に「無罪」と宣言されます。

あなたはどうですか。神様をあなたの王として認めていますか。あなたの心を王のために整えていますか。ダビデはこう書きました。

門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。

栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。

門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。

その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。(7-10)

私たちの心の門を開いて、私たちの王を歓迎しましょう。そして、その王に従いましょう。

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