試練が好きだと言う人はいません。私も全然好きではありません。けれども、この詩篇では、私たちは試練から救い出してくださった神様の民が喜ぶのを見ます。
詩篇66篇では、詩人はこう歌います。
全地よ。神に向かって喜び叫べ。
御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。
神に申し上げよ。「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のために、あなたの敵は、御前にへつらい服します。
全地はあなたを伏し拝み、あなたにほめ歌を歌います。あなたの御名をほめ歌います。」 (詩篇66:1-4)
そして、詩人は喜びの理由を教えます。
さあ、神のみわざを見よ。神の人の子らになさることは恐ろしい。
神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は川の中を歩いて渡る。さあ、私たちは、神にあって喜ぼう。(5-6)
もちろん、詩人は神様がイスラエル人をエジプトからどのように救い出してくださったかについて話しています。つまり、神様は紅海に乾いた道を整えてくださいました。その時、神様はその力をイスラエルと周りの国々に現わされました。
だから、詩人は警告します。
神はその権力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を監視される。頑迷な者を、高ぶらせないでください。(7)
そして詩人は振り返って、イスラエル人のエジプトの苦しみも砂漠の苦しみも思い出します。けれども、その苦しみの中で、詩人は神様の御手を見ました。
国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。
神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。
神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。
あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。
あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。(8-12)
11-12節は興味深い箇所です。神様はイスラエル人を網に引き入れ、外国の王を彼らを治めるために送りました。
神様は私たちの人生に直接悪を送らないけど、この壊れた世に悪は来ます。もちろん神様はその悪を止めることができますが、時々その悪が私たちの人生に来ることを許されます。
どうしてでしょうか。神様は私たちを憎むからでしょうか。違います。
その試練を通して、神様は銀を精錬するように、私たちを練られます。
その試練を通して、私たちのプライドや罪を清め、私たちは神様が望んでおられる聖いものになります。
しかし、私たちが火を通るとき、神様は私たちを手放しません。むしろ、神様は私たちを守り、私たちの足をよろけさせません。そして、私たちはその試練を乗り越え、勝利を得ます。
だから、火を通ってから、詩人は感謝のいけにえを捧げ、自分の経験を周りの人々に伝えました。彼はこう歌います。
さあ、神を恐れる者は、みな聞け。神が私のたましいになさったことを語ろう。
私は、この口で神に呼ばわり、この舌であがめた。
もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。
しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。
ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。(16-20)
あなたはどうですか。どんな試練を通っているでしょうか。どんな試練を通っても、神様はあなたを決して離れません。
だから失望しないでください。神様に叫びましょう。あなたの心を主の前に注ぎ出しましょう。そうすれば、神様の救いを知ります。その時、周りの人々に、神様が何をしてくださったか教えましょう。
