詩篇68篇を読むとき、二つのことが私の心を打ちます。
一つ目は、神様の力です。
この詩篇の初めに、私たちは敵を滅ぼしてくださる神様の力が見えます。
神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。
煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。(詩篇68:1-2)
そして、詩人は、どうやって神様がイスラエル人をエジプトから救い出してくださって、約束の地に導いてくださったか思い出します。
神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、荒れ地を進み行かれたとき、セラ
地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神であられる神の御前で震えました。(7-8)
そして、詩人は歌います。
神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行なわれた神よ。御力を示してください。(28)
また、
神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。
神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。(34-35)
神様の力を見ていると、私は畏敬の念を抱きます。
しかし、この詩篇にはもう一つのことが見られます。それは神様のあわれみです。
みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。
神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。(5-6)
詩人は、神様がどうやってイスラエル人を約束の地に導いてくださったかについて話すとき、こう言います。
神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました。
あなたの群れはその地に住みました。神よ。あなたは、いつくしみによって悩む者のために備えをされました。(9-10)
けれども、私が一番好きな箇所は19節です。
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ
以前言ったように、神様の力について考えるとき、私は畏敬の念を抱きます。なぜなら、神様はすべてのことをコントロールしておられるし、何でもできます。
しかし、私たちに対する神様のあわれみと恵みはもっと素晴らしいものです。毎日、神様は私たちを愛し、見守ってくださいます。
それに、神様は私たちの重荷を背負ってくださいます。
また、私たちのニーズを見るとき、神様はそのニーズに備えてくださいます。
私たちが寂しいとき、神様は私たちとともにおられます。
私たちが囚人だったとき、神様は私たちを解放してくださいました。
主よ。あなたが力ある神であることを感謝します。けれども、あなたが私たちを愛していることをもっと感謝します。私があなたの臨在をもっと感じるように。私の人生にあなたの力をもっと知るように。
以前のように、あなたの力を示してください。しかし、あなたのあわれみも私がもっと知るように。そして、私がそのあわれみを周りの人々に与えるように助けてください。私を通して、彼らがあなたのあわれみと力を見えるように。アーメン。
