詩篇69篇はダビデの経験について書かれていますが、この詩篇の大部分はキリストのことも表しています。新約聖書において、この詩篇はキリストによく当てはめられました。
つまり、ここではイエス様の十字架の苦しみが見えます。その時、イエス様は死の泥沼に沈まれました。イエス様は天の父に叫ばれたけれども、返事は来ませんでした。イエス様はのどが渇かれ、衰え果てられました。(詩篇69:1-3)
ゆえなくイエス様を憎む者は多く(4)、イエス様の兄弟たちもイエス様をからかい、拒絶しました(8)。
イエス様が主の宮を清められた時、その父の家に対する熱心さが見えます。(9)
周りの人々はイエス様をそしり、侮辱しました。(19)
そして、イエス様が飲み物を頼まれたとき、彼らはイエス様に酢を飲ませました。(21)
それに、使徒の働き1章で、ペテロは詩篇69:25節をユダに当てはめました。
だから、この詩篇では、私たちは十字架でイエス様の叫びを見ることができます。けれども、それだけではなく、私たちの救いも見えます。なぜなら、イエス様の十字架の働きを通して、私たちのすべての罪が支払われたからです。
十字架でイエス様が苦しまれ叫ばれましたが、今、私たちはイエス様が歌われた賛美を歌うことができます。
私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。
それは雄牛、角と割れたひづめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。
心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。(30-32)
そして、詩人は歌います。
まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。
主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。(35-36)
新しいエルサレムが来ます。それはユダヤ人だけのためではなく、イエス様の十字架の働きを信じ、その御名を愛する人のために来ます。その新しいエルサレムで、私たちの救いは成就されます。
主よ、あなたが私の救いのために多大な代価を払ってくださったことに感謝いたします。あなたは罪を犯されることなく、私のために死んでくださいました。
私が決してそのいけにえを軽んじることのないように、私の人生があなたに対する賛美となるようにお導きください。私の人生と言葉で周りの人々にあなたの御業を宣言するように助けてください。アーメン。
