私には、いつこの詩篇が書かれたか分かりません。「アサフのマスキール(歌)」と書かれていますが、多分、アサフの子孫の歌という意味です。
なぜなら詩篇74篇では、主の宮の破壊について話していますが、アサフが生きている間はその宮はまだ建っていたからです。(アサフはダビデ王や、ソロモン王、レハブアム王の時代に生きていました。)
多分、この詩篇はネブカデネザルがエルサレムを攻撃して、ユダヤ人がバビロンに追放された後に書かれました。
詩人は、「もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。」と書いていますが、多分エルサレムには預言者がいないという意味です。
ダニエルとエゼキエルはバビロンにいましたし、エレミヤはしばらくエルサレムに住み続けましたが、結局彼はエジプトに連れていかれました。
とにかく、この詩篇は憐れみを求める願いです。詩人は嘆きます。
神よ。なぜ、いつまでも拒み、あなたの牧場の羊に御怒りを燃やされるのですか。
どうか思い起こしてください。昔あなたが買い取られた、あなたの会衆、あなたがご自分のものである部族として贖われた民を。また、あなたがお住まいになったシオンの山を。
永遠の廃墟に、あなたの足を向けてください。敵は聖所であらゆる害を加えています。(詩篇74:1-3)
そして、詩人は宮の破壊を嘆き、神様がいらっしゃらないことを嘆きます。
しかし、12節で、彼は歌います。
確かに、神は、昔から私の王、地上のただ中で、救いのわざを行なわれる方です。
そして、13〜17節で、彼は神様の力を思い出します。つまり、神様がどうやってこの世を造られたか、またどうやってイスラエル人をエジプトから救い出してくださったかを思い出します。
そして、彼はもう一度神様の憐れみを願います。
この詩篇では、興味深いポイントがあると思います。特に、神様の憐れみについて学ぶことができると思います。
最も大切なポイントは、私たちが神様の憐れみに値しないことです。詩人は「私たちが良い人だから、憐れんでください」とは全く言いませんでした。
むしろ、神様の名前の誉のために、神様の憐れみを願います。詩人は尋ねます。
神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。(10)
要するに、「イスラエルの敵があなたの宮を破壊したので、あなたの名前は汚されました。周りの国民はもうあなたのみ名を誉めません。」
だから、詩人は祈ります。
神よ。立ち上がり、あなたの言い分を立ててください。愚か者が一日中あなたをそしっていることを心に留めてください。
あなたに敵対する者どもの声や、あなたに立ち向かう者どもの絶えずあげる叫びを、お忘れにならないでください。(22-23)
それに、詩人は神様の約束ゆえに、憐れみを願いました。この詩篇の最初に、彼は祈りました。
どうか思い起こしてください。昔あなたが買い取られた、あなたの会衆、あなたがご自分のものである部族として贖われた民を。また、あなたがお住まいになったシオンの山を。(2)
要するに、「あなたは私たちを買い取られ、私たちがあなたのものとすると約束しました。あなたが私たちの間に住むことも約束されました。だから、その約束を思い出し、私たちを救ってください。」
最後に、神様の情けによって、詩人は憐れみを願いました。彼は歌いました。
しいたげられる者が卑しめられて帰ることがなく、悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように。(21)
神様の憐れみに値する人は一人もいません。それでも、神様は憐れみ深い方です。だから、神様が私たちを捨てられたと思う時、失望しないでください。むしろ、神様に向かい、憐れみを願いましょう。
そうすれば、神様はユダヤ人を救われたように、私たちを救ってくださいます。
