カテゴリー
詩篇

神様のようになる事

詩篇101篇

詩篇101篇では、私たちはなぜ神様がダビデを神様の心にかなう人だと呼んだのか分かります。

ダビデは歌います。

私は、恵みとさばきを歌いましょう。主よ。あなたに、ほめ歌を歌いましょう。(詩篇101:1)

神様のダビデに対する愛のため、また、ダビデの神様に対する愛のため、ダビデはもっと神様のようになりたいと願っていました。つまり、ダビデは正義を愛し、清い人になりたかったのです。だから、彼は言いました。

私は、全き道に心を留めます。(2)

そして、彼はどのように神様のようになりたがったかをリストアップします。

彼は自分の家庭生活によって神様を喜ばせたかった。だから、家でも、卑しいことを見ませんでした。(2-3)

私たちが教会や仕事に行く時、敬虔な人生を生きるふりをするのは簡単です。けれども、正直な人は、家でも、外でも同じように振る舞います。

そして、ダビデは人の罪を憎み、その罪に参加しないと言いました。だから、誰かが隣人を謗った時、ダビデはその人を黙らせました。また、彼らが高ぶって、人を見下したり、神様を侮ったりしたら、ダビデは彼らのことを我慢できませんでした。

しかし、どれぐらい私たちは悪を耐えるでしょうか。私たちの友達が噂話をする時、どれぐらい私たちも参加するでしょうか。どれぐらい、私たちは高ぶって、相手を見下すでしょうか。

ダビデは神様を愛していたので、そんな態度を憎み、その罪に参加しませんでした。

それに、ダビデは友達を選ぶ時、気を付けました。また、誰のアドバイスに従ったかを気を付けました。だから、彼はこう言いました。

私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。彼らが私とともに住むために。全き道を歩む者は、私に仕えます。(6)

最後に、自分の家族のリーダーとして、また、国のリーダーとして、真理と正義によって治めることを決心しました。(7-8)

私たちは本当に神様を愛するなら、そんな態度は私たちの心を治めるべきです。なぜなら、神様の心にかなう人はそのような人だから。

私たちがダビデのように、私たちを愛する神、また私たちが愛する神のようになるように。

コメントを残す