私は詩篇102篇の最後の部分が大好きです。
あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。(詩篇102:25-27)
要するに、いつかこの世が滅びるので、神様はこの世を新しくしなくてはなりません。けれども、神様は決して変わりません。
どうしてその真理は大切なのでしょうか。それは、私たちがどんなに失敗しても、私たちに対する神様のあわれみが決して絶えないからです。
おそらく、ユダヤ人がバビロンに追放された時期に、詩人はこの詩篇を記したのでしょう。だからこそ、彼はイスラエルの民の苦しみを目にした時、涙を流しました。
神様がご自身の怒りを彼らに注がれたため、敵はあざ笑い、イスラエルの民は絶望の中にありました。
けれども、詩人は叫びます。
しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます。
あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。(詩篇102:12-13)
エレミヤの預言によれば、イスラエル人の追放は70年続きます。だから、おそらくその追放の終わりが迫るとき、詩人は祈りました。
「私たちがエルサレムに帰る時間がもうすぐ来ます。だから、立ち上がって、私たちをあわれんでください。」
そして、彼は将来について考えました。そのとき、神様がエルサレムを建て直されるので、周りの国々は驚きます。
詩人はこう歌いました。
こうして、国々は主の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。
なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ「ます。」(詩篇102:15-16)
その日を楽しみにして、詩人は主のあわれみを喜び、歌います。
窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。(詩篇102:17)
また、
主はその聖なるいと高き所から見おろし、天から地の上に目を注がれました。
捕らわれ人のうめきを聞き、死に定められた者を解き放つために。(詩篇102:19-20)
この箇所が大好きです。私たちが罪で縛れて、死に値したのに、神様は私たちの叫びを聞いて下さって、私たちを解放してくださいました。
いつかの日に、私たちは私たちを贖った神の前に集まり、礼拝します。それに、私たち永遠まで神様の御前に住みます。(詩篇102:22,28) 私はそれを楽しみにしています。
主よ、あなたは永遠からの神です。人々は変わるかもしれませんが、あなたは決して変わりません。私たちが罪を犯しても、あなたのあわれみは決して変わりません。だから、あなたを賛美します。
あなたがもう一度来るまで、私に対するあなたのあわれみが毎日新しくなるように。あなたの忠実さを感謝します。アーメン。
