詩篇103篇では、ダビデは神様の愛と憐れみについて歌います。
いつダビデがこの詩篇を書いたかは分かりませんが、多分バテ・シェバとの罪の後かもしれません。
もしかしたら、ダビデはイスラエル人の人数を数えた罪の後に、この詩篇を書いたかもしれません。
とにかく、彼の罪が赦された後に、彼は歌います。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。(詩篇103:1)
私はこの箇所を読むと、イエス様の言葉が思い浮かびます。つまり、多くの罪が赦された人は神様をより多く愛します。(ルカ7:47)
ダビデは、多く赦されたので、彼の神様に対する愛はより大きかったのです。
彼は酷い罪を犯しても赦され、彼の健康が回復され、死から救われました。それに、彼が何回失敗しても、神様は彼に恵みとあわれみとの冠をかぶせてくださいました。(2-4)
そして、ダビデは神様がモーセに何を言われたかを思い出しました。神様はご自身についてこう言われました。
主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。(8)
ダビデはその言葉に加えました。
主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。(9-12)
その言葉が大好きです。
「絶えず争ってはおられない。」
あなたのお父さんやお母さんが、何度もあなたを責めたことがあるかもしれません。彼らがあなたを決してほめず、いつも批判していたかもしれません。だから、あなたは神様もそのような方だと思ってしまうかもしれません。
しかし、神様は絶えず争う方ではありません。
そして、私たちが悔い改めると、神様はご自身の怒りを心の中に持ち続けることはありません。
時々、人々は「あなたを許してあげる」と言いますが、私たちがもう一度失敗したら、彼らは私たちの以前の失敗も思い出させます。
神様はそうなさいません。神様は私たちを赦す時、私たちの罪をもう思い出されません。
それに、神様は私たちの弱さを知っておられるので、私たちをあわれんでくださいます。
神様は人間になられたので、私たちの弱さをよく知っておられます。私たちのようにイエス様は誘惑されましたが、決して罪を犯されませんでした。しかし、その経験によって、私たちの誘惑が分かるようになりました。
だから、私たちは悔い改め、神様を敬うと、神様の恵みは永遠から永遠まで私たちの上にあります。(13-17)
だから、ダビデは天の者と全地の者が神様をほめたたえるように招きます。ダビデも賛美してこう歌いました。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。(22)
主よ、あなたの愛とあわれみを感謝します。私が弱くて、罪を犯しても、あなたが私をまだ愛してくださることを感謝します。あなたは私を争わずに、恵み深い目で見てくださいます。
どうか、その恵みとあわれみを周りの人々にシェアするように助けてください。アーメン。
