ダビデがこの詩篇を書いたかどうか分かりませんが、詩篇103篇のように、詩人はこう歌い始めます。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇104:1)
けれども、103篇と違って、主の愛と憐れみのためではなく、神様の被造物のために詩人は神様に感謝します。彼は被造物を見る時、神様の素晴らしさを驚き、歌います。
わが神、主よ。あなたはまことに偉大な方。あなたは尊厳と威光を身にまとっておられます。
あなたは光を衣のように着[る](詩篇104:1-2)
それを読むとき、私はヨハネの言葉を思い浮かべます。
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。(第一ヨハネ1:5)
要するに、神様は聖なる方です。だから、光を見ると、私たちは神様の栄光と聖さを垣間見ることができます。
そして、詩人は星空に感心します。神様は、天を幕のように広げておられます。そして、雲は神様の車です。
詩人がこの詩篇を書いたとき、彼は風と稲妻を神様の使いと召使いと呼びました。それらは神様の栄光を宣言し、神様の目的を果たします。
しかし、ヘブル人への手紙の著者はこの箇所を天使に当てはめました。彼が言ったのは、イエス様が神様のひとり子ですが、稲妻と風のように天使はただの召使いということです。
そして、詩人は創世記1章について話します。つまり、神様は土地を造り、植物や動物を造られました。また、神様は日や月や季節を造られました。また、神様は動物にエサを与えられます。そして、神様はすべての物に命を与えてくださいます。
だから、詩人はその被造物のために神様をほめたたえました。
主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。
そこには大きく、広く広がる海があり、その中で、はうものは数知れず、大小の生き物もいます。(詩篇104:24-25)
主の栄光が、とこしえにありますように。主がそのみわざを喜ばれますように。
主が地に目を注がれると、地は震え、山々に触れられると、山々は煙を上げます。(31-32)
そして、詩人はこの歌をまとめて歌います。
私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。(33-34)
それは最も大切な教訓です。神様が私たちの創造者なので、神様は私たちの賛美に値する方です。だから、私たちは毎日、私たちの言葉や思い、行動で神様を礼拝しましょう。
なぜなら、神様を私たちの創造主として認めない人は裁かれて滅びるからです。(35a)
だから詩人は歌います。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。ハレルヤ。(35b)
