これは、本当に有名なメシアについての詩篇です。イエス様はその詩篇を引用して、パリサイ人が答えられない謎をかけられました。(マタイ22:41-45)
詩篇110篇では、主(つまり、天の父)は、ダビデの主(つまり、メシヤ)にこう言います。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。(詩篇110:1)
昔は、戦勝した王は敗戦した王の首を踏みました。
この箇所では、天の父がイエス様に敵を打ち勝たせることを約束しておられます。また、イエス様がご自身に逆らう者さえも支配されることを約束しておられます。
しかし第4節によれば、イエス様はただの王ではありません。イエス様は私たちの祭司でもあります。
ただし、イエス様はアロンの系統に属する祭司ではありません。むしろ、天の父はこう言われました。
主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」(4)
アブラハムの時代、メルキゼデクは祭司であり、王でした。
ダビデとその息子ソロモンは王でしたが、時に祭司のように、いけにえをささげたり、主の名によって人々を祝福したりしました。それでも、彼らは祭司ではありませんでした。
しかし、イエス様は私たちの王であり、祭司でもあります。
ただし、アロンの系統に属する祭司の職と、イエス様の祭司の職には大きな違いがあります。アロンとその子孫は、一時的に祭司として神様に仕えました。
その一方、イエス様は永遠の祭司です。なぜなら、イエス様は永遠の方だからです。(へブル人への手紙7:24)
そして、6節によれば、最後の日にイエス様はすべての国々を裁かれます。その日、すべての人々はイエス様の王座の前に立って、裁かれます。
良い知らせは、イエス様は私たちの大祭司なので、天の父の前で私たちのためにとりなしてくださることです。だから、私たちは神様を恐れる必要はありません。
むしろ、へブル人への手紙の著者はこう言います。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:16)
イエス様、あなたは私の王と神と裁判官です。けれども、一番感謝しているのは、あなたは私の大祭司であることです。
あなたは私のためにとりなし、私の罪をあなたの血によって取り去ってくださり、感謝します。
けれども、それよりも、あなたが本当に素晴らしい神であることを感謝します。あなたの名前によって祈ります。アーメン。
