恐れと喜び。私たちはふだんその言葉をいっしょに使うことはありません。けれども、詩篇112篇では、詩人はそうします。
彼は神様を恐れる祝福と、神様とその言葉を喜ぶ祝福について話します。
詩人はこう言います。
ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。(詩篇112:1)
神様を恐れることは、どういう意味でしょうか。
一つ目は、神様の偉大さに畏敬の念を抱くことです。
私たちは神様が私たちよりも偉大な方であり、私たちよりも聖い方であることを理解します。その知識によって、私たちは神様を恐れます。なぜなら、私たちは神様の前に立つことに値しないからです。
むしろ、私たちの罪のため、私たちは死に値します。聖書で神様に会う人々はそう感じました。
しかし、同時に彼らは、彼らに対する神様の愛と憐れみを知ったので、神様を喜び、神様を喜ばせたいと思いました。
詩人はそのような人々が祝福を知ることを言います。
そして、彼らは天の父の性格を取るようになります。彼らも、恵み深く、情け深くなり、義の道を歩みます。彼らも気前がよく、自由に人に貸し、義によって行います。(4-5)
その結果は?
彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。
その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。
その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。(6-8)
多くの人々は自分自身だけを信頼するので、将来について心配します。どうしてでしょうか。なぜなら、将来をコントロールできないからです。だから、悪い便りを聞くと、彼らはパニックになります。
しかし、神様に信頼したら、悪い時が来ても、私たちは安心できるし、将来を恐れません。
どうしてでしょうか。
なぜなら、私たちは全てをコントロールできる方の手に任せるからです。そして、人々が私たちを攻めても、神様は私たちに勝利を与えてくださいます。
詩人は悪者についてこう言います。
悪者はそれを見ていらだち、歯ぎしりして溶け去る。悪者の願いは滅びうせる。(10)
その一方、神様に信頼する人は周りの人々を祝福します。それに、神様は私たちに栄光を与えてくださいます。(9)
だから、毎日この聖く、良く、素晴らしい神を恐れ、喜びましょう。
