多分、神様に関して最も驚いたことは、神様は威光ある方でありながら、私たちを愛しておられることです。
詩人は詩篇113篇の最初から私たちを礼拝するように呼びかけます。
ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。
今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。
日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。(詩篇113:1-3)
そして、彼は歌います。
主はすべての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。
だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し。。。(4-5)
要するに、「神様は偉大な方です。神様を他のものと比べられません。神様が私たちの賛美に値する方だから、ほめたたえましょう。」
けれども、6節で、詩人はこう言います。
「神様は」身を低くして天と地をご覧になる。(6)
そして、詩人は、どうやって神様が弱いもの、貧しいもの、子供のいない女性(その時代、それは本当に恥ずかしいことでした)を引き上げ、祝福してくださることについて話します。(7-9)
神様は私たちを見るために身を低くし、私たちに触れられました。
しかし、それだけではなく、神様は人間として、この世に来られ、私たちと共に住まわれました。パウロはこう書きました。
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ[た]。(ピリピ2:6-7)
だから、神様は私たちのことを本当に理解しておられます。
さらに、神様は私たちの最大の必要を見て、十字架で私たちの罪のための罰を受けられました。
イエス様は死に値しなかったのに、私たちを愛し、この世に来て、私たちのために死んでくださいました。
だから、詩人が歌ったように、
日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。(3)
