この箇所では、私たちは詩人のへりくだる心が見えます。彼は、「全てのことを知っているわけではありません。だから教えてください」と言います。
私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。
私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。(詩篇119:18-19)
要するに、
「私は旅人です。だから、あなたの道と律法がよく分かりません。あなたが私に何を要求されるか分かりません。
けれども、あなたが私の最善を望んでおられることを知っています。だから、私の目を開いてください。あなたの道が理解できるように助けてください。」
彼は祈り続けます。
どうか、あなたのおきてを私に教えてください。
あなたの戒めの道を私に悟らせてください。私が、あなたの奇しいわざに思いを潜めることができるようにしてください。(26-27)
もう一度、私たちは詩人のへりくだる心が見えます。多分、彼は自分の罪のため、「ちりに打ち伏しています」と言いました。(25)
だから、彼はこう言いました。
みことばのとおりに私を堅くささえてください。(28)
また、
私は真実の道を選び取り[ます](30)
また、
私はあなたの仰せの道を走ります。(32)
なぜでしょうか。
あなたが、私の心を広くしてくださるからです。(32b)
そして、彼はもう一度言います。
あなたのおきての道を私に教えてください。(33)
また、
あなたのおきての道を私に教えてください。(34)
また、
私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。(35)
つまり、「私はあなたの道を知らないので、教えてください。私は本当にあなたの道を理解したいです。」
けれども、多くの場合、私たちは「もう知っている」と言う態度を取ります。私たちの知恵と知識がもう十分だと思います。
しかし、そのような態度は破壊と恥に導きます。私たちはいつもへりくだる心が必要です。私たちは神様の教えに耳を開かなくてはならないのです。
また、私たちは自分の力で神様の道を歩むことができないと認めなくてはならないのです。
だから、詩人は神様の助けのために祈ります。
私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。
むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。(36-37)
そして、彼は40節で祈ります。「どうか私の義によって、私を生かしてください。」(40)
実は上記の箇所で、一つのミスがあります。あなたは気づいたでしょうか。
ダビデが言ったのは、「どうかあなたの義によって、私を生かしてください。」と言っていました。
神様は私たちを私たち自身の義によって救われません。むしろ、神様の義によって私たちを救ってくださいます。神様の義によって、私たちは神様の目に義と認められます。
あなたはそのことを認めますか。詩人はそう認めました。
だから、プライドを捨てましょう。自分の義や知恵に頼らないようにしましょう。
むしろ、神様の前にへりくだって来て、「教えてください」と言いましょう。
そうすれば、神様は私たちに教えてくださいます。
