詩篇130篇は短い詩篇ですが、私はこの詩篇が大好きです。苦しむ時、詩人は神様の赦しと愛を省みます。
いつこの詩篇が書かれたのか私は知らないけれど、バビロンへの追放の後に書かれた感じがします。ダニエルのような人がこの詩篇を書いたことが想像できます。
しかし、ダニエルの祈りと違って(ダニエル書9章)、この詩人は自分の罪のために赦しを願いました。彼は叫びました。
主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。
主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。(詩篇130:1-2)
彼は自分の義に基づいて願いませんでした。むしろ神様の性格に基づいて願いました。彼は言いました。
主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。
しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。(3-4)
その個所が大好きです。誰も神様のみ前に立つ資格を持ちません。もし、神様が私たちの罪の記録を持っていたら、私たち皆死んでしまうでしょう。
たとえあなたが一日に三回ぐらい罪を犯したら、あなたは三十代になるともう罪を三万回ぐらい犯したことになります。
私がどれぐらい罪を犯したか考えたくありません。けれども、イエス様の血によって、私の罪は清められました。私の罪の記録に、もう何も書かれていません。
だから、詩人はこう言います。
私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。(5)
彼は何を待ち望んでいるでしょうか。神様の恵みを待ち望んでいます。何に基づいて待っているでしょうか。神様の約束によって待ち望んでいます。
私たちも神様の約束に頼ることができます。つまり、
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:9)
そして、夜明けが確かに来るように、悔い改める人に神様の赦しも確かに来ます。(詩編130:6)
自分の罪を悔い改めたあとで、詩人はイスラエルが悔い改めるように招きます。
イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。
主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。(7-8)
私たちが神様の赦しを見つけたので、周りの人々に神様の憐れみについて伝え、彼らが悔い改めるように招きましょう。
