詩篇139篇は本当に有名な詩篇です。多くの人々が23篇と139篇が大好きだと思います。
どうして、この二つの詩篇は親しまれるでしょうか。なぜなら、それらは神様の愛をはっきりと表しているからです。
実は、あなたの視点によって、この詩篇は怖いかもしれません。
アメリカでは、たくさんの人々が「お兄さん」について心配しています。「お兄さん」というのは、政府が、衛星やほかのテクノロジーを通して、私たちを見ていることです。
しかし、神様は私たちの政府よりも有能な方です。私たちが出かけても、リビングにいても、神様は私たちを見てくださいます。
神様は私たちのすべての行動を知っておられます。私たちは暗い所でも隠れることができません。そして、私たちがどこに行っても、神様から逃げられません。
それに、神様は私たちの携帯電話の話も知っておられます。私たちが家にいても、職場にいても、神様は私たちのすべての言葉を知っておられます。
もし、私たちが神様ににらまれたら、それは怖いことでしょう。もし神様が私たちを罰するために待っておられるなら、それは怖いことでしょう。
けれども、神様は愛深く憐み深い目で私たちを見てくださいます。私たちが母のお腹の中にいたとき、神様は私たちを見守っておられました。その子宮の中で、神様は私たちを組み立ててくださいました。
そして、私たちを造っておられる間に、神様は私たちのために夢と計画をお持ちでした。神様は私たちについてずっと考えておられました。ダビデはこう言いました。
神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。
それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。(詩篇139:17-18)
それに、神様がこの世界を造る前に、神様は私たちが何をするか、私たちの選択も知っておられたので、そのすべてを神様の計画に織り込みました。
神様は決して驚かれることがありません。神様はプランBの必要がありません。プランAだけがあります。そして、神様の計画は初めから決して変わることがありません。
だから、私たちが何をしても、また、どんなに失敗しても、私たちに対する神様の思いは決して変わりません。神様はご自身の計画に私たちの良い行動も悪い行動も織り込みます。
だから、私たちにとっては一つの質問しかありません。私たちは喜んで神様の計画に参加するでしょうか。それとも、私たちは神様と戦うでしょうか。
もし、神様と戦うなら、神様は私たちの行動を神様の計画に織り込みますが、私たちは苦しむことになります。
ダビデはその選択肢を知っており、神様に従うことを選びました。
彼の言葉は厳しいかもしれませんが、神様が罪を憎んでおられることを知っていたので、ダビデも罪を憎みました。だから、ダビデは罪を犯したがらなかったし、罪人と付き合いたがらなかったのです。
むしろ、彼は神様の前に清い心を保ちたがり、神様を喜ばせたがりました。だから、彼はこう祈りました。
神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(23-24)
主よ。あなたが私を知って、愛してくださり感謝します。
私が母の胎にいるときに、あなたは私をもう知っていて、計画を持っておられました。
あなたの目的のために私を用いてください。私の人生はあなたのものです。私がどこに行っても、私が何をしても、私を導いてください。
私が変わらなくてはならないところを変えてください。私の罪を取り除き、清めてください。そして、とこしえの道に導いてください。アーメン。
