この箇所では、ソロモンはその父ダビデの言葉を思い出します。ソロモンにとって、その言葉は本当に印象に残りました。ダビデはこう言いました。
父は私を教えて言った。
「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ。知恵を得よ。悟りを得よ。
忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。
知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。
知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。
それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。
それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。」 (箴言4:4-9)
ソロモンはその言葉に感動したので、神様がソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」と言われたとき、ソロモンは富や力を願いませんでした。むしろ、知恵を願いました。神様は喜んでその知恵を与えてくださいました。
そのように、もしあなたが知恵を求めると、神様はその知恵をあなたに与えてくださいます。ヤコブはこう言いました。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1:5)
しかし、どれぐらい私たちは知恵を尊重するでしょうか。私たちは知恵を積極的に求めているでしょうか。
特に、あなたは聖書から知恵を求めているでしょうか。毎日時間を取って、聖書を読むでしょうか。どれぐらい読むでしょうか。
多くのクリスチャンは日曜日だけに聖書を読みます。後は、彼らは「聖書の断食」をします。
だから、私たちの人生を送る時、私たちは知恵がないので、どうして私たちの人生がうまくいかないか分かりません。
だから、ソロモンはこう言いました。
知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。(7)
けれども、知恵を学ぶだけでは十分ではありません。その知恵に従うべきです。ヤコブはこう言いました。
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。(ヤコブ1:6-8)
時々、人々は神様から知恵を求めるけど、その知恵を聞くと、神様の道が最も良いかどうか疑います。だから、彼らは自分の道を行き続けます。
けれども、そのような人は人生に安定を決して見つけられません。むしろ、その人は自分の状況やほかの人々の意見によって、吹かれて揺れ動いてしまいます。
しかし、私たちは知恵を尊重し、その知恵に従うと、平和や安定と誉を見つけます。
あなたはどうですか。知恵を尊重していますか。
