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箴言

将来を考える

箴言11章

この箇所の繰り返すテーマは将来を考えることです。特に、私たちは自分の行動の結果を考えるべきです。

多くの人々はそうしません。数年前、私は「すっからかん」というアメリカのスポーツ・ドキュメンタリーを見ました。

その番組で、多くの有名なプロ選手は自分の愚かな決断について話していました。彼らは何百万円を稼いだけど、すべてを失ってしまいました。

一人の選手はヨットと二台の車と大豪邸のために7億円を払いました。もう一人の選手は、9人の女性と関係を持ち、11人の子供がいるので、その女性たちとその子供たちを養うために何百万円も支払わなくてはなりませんでした。

彼らは自分の行動の結果について全く考えなかったので、多額のお金を支払わなくてはならず、さまざまな苦しみを経験しました。

この箇所の例は違いますが、教訓は同じです。もし将来を考えないと、結局あなたは苦しみます。

プライドが私たちの人生を治めたら、私たちは没落してしまいます。自分の地位を自慢する人もいます。自分の持ち物を自慢する人もいます。また、自分の才能を自慢する人もいます。

けれども、そんなプライドは没落に導きます(2節)。その選手たちは破産して、その教訓を学びました。

ある人は経済的に賢いですが、彼らは自分の情欲に治められます。

彼らについてソロモンはこう言いました。

財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。(箴言11:4)

裁きの日に、彼らはソロモンの言葉が真理であることが分かります。

私たちはお金によって天国に入ることはできません。なぜなら、神様は私たちのお金を必要とされないからです。

キリストを信じる信仰に基づいて、神様から与えられる義だけが私たちを救うことができます。もしその義を拒絶したら、神様の怒りを受けることになります。

この世には力がある人もいます。けれども、もし彼らが神様の前にへりくだらないと、裁きの日にその力は彼らを救うことができません。ソロモンはこう言いました。

悪者が死ぬとき、その期待は消えうせ、邪悪な者たちの望みもまた消えうせる。(7)

新改訳では「邪悪な者」と書いてありますが、他の翻訳では「力のある人」とされています。

とにかく、邪悪な人でも、彼らが悔い改めて、へりくだったら、神様の憐みを知ります。けれども、彼らがそうしないなら、彼らの希望は無くなります。彼らの力は救うことができません。

ある人は、罪にふけっているので、本当の自由を発見したと思います。彼らは神様の道を行く人が束縛されていると思います。しかし、ソロモンはこう言いました。

潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。

直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕らえられる。(5-6)

つまり、私たちが神様の道を行くなら、私たちの人生はうまくいきます。しかし、自分の道を行くと、私たちは最終的に滅びてしまいます。私たちの結婚や他の人間関係を壊してしまいます。私たちが頑張って築いたものも壊れてしまいます。

それに、私たちが自由だと思っていたのに、自分の情欲に束縛されていることに気づくでしょう。その情欲によって私たちの人生が壊れているのに、変わることができないと分かるようになります。

どれくらいの人々がギャンブルや、お酒や、麻薬や、不倫によって、自分の人生を壊しているのに、自分自身を止められないでしょうか。

この箇所の後半では、ソロモンは他の人々について話します。彼らも自分の行動の結果を予想できません。

ある人が誰に話すかに気をつけないので、彼らの秘密がばれてしまいます。(13節)

ある人がほかの人々の知恵を求めずに、自分の知恵だけに頼るので、彼らの人生はダメになってしまいます。(14節)

ある人は、お金を儲けることに集中して、人間関係を無視するので、彼らは誉れと愛をつかめず、ずっと独りぼっちです。(16節)

ある美人はどう生きるか、誰に自分の心を与えるべきなのか気をつけないので、傷つけられてしまいます。(22節)

ある人の人生がうまくいくとき、誰にも助けてあげないので、彼らの人生が苦しくなる時、誰も彼を助けてあげません。(24節)

ある人が自分の行動が家族にどんな影響を与えるか気にしないので、その関係は壊れてしまいます。(29節)

私たちは将来を考えないと、苦しむことになります。この世で苦しむかもしれないし、裁きの日に苦しむかもしれません。

あなたはどうですか。どのように生きているのでしょうか。あなたの将来を考えているでしょうか。

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