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箴言

周りの人々との平和、心の中の平和

箴言14:9,23,30

この箇所を読むと、次の三つの箴言が私の心に響きます。

罪過のためのいけにえは愚か者をあざけり、正しい者の間には恩恵がある。(箴言14:9)

時々、私のブログを日本語に翻訳するのは難しいです。なぜなら、時々新改訳と英語の翻訳は違うからです。一つの単語にはいろんな意味があり、ヘブル語の文法は英語と日本語の文法と違うからです。

この箇所は一つの例です。

多分、文法的に、日本語の方が正しいでしょう。とはいえ、その意味はちょっと分かりにくいです。

新改訳が正しいなら、多分その意味は、愚か者が自分の罪を思い出すと、彼らは罪悪感があって、苦しむということです。

けれども、多くの英語の聖書では、この箇所はこのように翻訳されています。

愚か者は過去のためのいけにえをあざけり、正しい者の間には恩恵がある。

つまり、愚か者には罪悪感がありません。誰かが彼らに「あなたは罪を犯しました。あなたは悔い改めて、神様にいけにえを捧げるべきです」と言っても、彼らは全然悔い改める気がありません。

けれども、悔い改める人は相手と和解することができます。

私たちはただの人間です。私たちは皆、意図せずに人を傷つけることがあります。多くの場合、あなたが謝ったら、その人と和解できます。しかし、時々謝罪するだけでは足りないこともあります。

例えば、自分の子供と遊ぶと約束したけれど、急用のためにできなかった場合、もちろん謝った方が良いですが、後で、予定を空けて、彼らと遊ぶべきです。正しい人はそのようなことをします。

その一方で、愚か者、つまり、道徳観念のない人は、謝らないし、償いをするのを拒絶します。むしろ、彼らは償いをする必要がないと言い張ります。「相手が気にしすぎだ」と言います。

けれども、周りの人々と平和を望むなら、償いをしなくてはならないのです。

22節では、ソロモンはこう書きます。

悪をたくらむ者は迷い出るではないか。善を計る者には恵みとまことがある。(22)

もちろん、悪をたくらむ人は人間関係を壊します。けれども、私たちが意識して周りの人々を祝福するなら、その関係から恵みと真が生まれます。私たちが相手に親切にするなら、彼らも私たちに親切にしてくれます。

どれくらい、あなたは意識して友達を祝福するでしょうか。どれくらい、あなたの妻や夫を祝福するでしょうか。

例えば、あなたはどれくらい外食に行く時に友達におごったり、あなたの妻にバラを買ってあげたり、そのようなことをするでしょうか。

もちろん、周りの人々との平和は大切なことです。しかし、自分の心の中で平和があることも大事なことです。それに関して、ソロモンはこう言います。

穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。(30)

この箇所も、翻訳は少し難しいです。新改訳では「激しい」と書いてありますが、別の意味として「嫉妬」があります。

だから、ある英語の聖書はこう書いてあります。

嫉妬は骨をむしばむ。

あなたは満足でしょうか。周りの人々のものを見る時、ねたむことはありますか。彼らの仕事や持ち物、妻や夫を見る時、ねたむことはありますか。

嫉妬すると、骨をむしばみます。決して幸せを得ることはできません。なぜなら、良いものを持っていても、それに感謝できないからです。常に相手のものを見ているからです。

しかし、あなたが満足していれば、平和があり、神様からの賜物を楽しむことができます。

あなたはどうですか。周りの人々と平和がありますか。心の中で平和がありますか。

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