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箴言

私たちの裁判官に自分のことを申し開きする

箴言20-21章

私たちがこの人生を送っている間、私たちが死後に永遠があることを忘れるのは簡単なことです。そして、その日、私たちは自分のことを私たちの裁判官である神様に申し開きをしなくてはなりません。

ソロモンはこう書きました。

人の心にあるはかりごとは深い水、英知のある人はこれを汲み出す。(箴言20:5)

もし、英知のある人が私たちの心を読み取れるなら、神様の前に私たちは何も隠すことができません。

ソロモンは続けてこう言います。

多くの人は自分の親切を吹聴する。しかし、だれが忠実な人を見つけえよう。(20:6)

たくさんの人々は神様を愛していると言うけれど、その神様に対する愛を示す人は少ないです。だから、ソロモンは私たちに警告します。

さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。(20:8)

もちろん、ソロモンは人間の王について話しているけれど、いつか、王の王は裁きの座に着いて、この世を裁かれます。

人間の王の判断は不完全です。なぜなら、彼らの知識と知恵には限界があるからです。

しかし、すべてのことは神様の前に置かれ、神様が正義の神なので、神様の判断は完全です。

ソロモンはこう言います。

人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。(20:27)

つまり、神様は私たちの最も隠された思いも知っておられます。

ソロモンは続けてこう言います。

人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。(21:2)

私たち皆が、いつか神様の御前に立って裁かれるので、ソロモンは私たちがどのように生きるか教えます。

私たちは正直に話さなくてはなりません。(20:10、16、23)

私たちは復讐を求めずに、裁きを神様の手に委ねなくてはなりません。(20:22)

たまに捧げものを捧げるよりも、毎日正しい生活を送らなくてはなりません。(21:3)

そして、神様の前にへりくだらなくてはなりません。(21:4)

そうしないと、ソロモンは私たちにこう警告します。

正しい人は悪者の家を見抜く。悪者どもは自分の悪事のために滅ぼされる。(箴言21:12)

多分、この箇所では、「正しい人」というのは、神様です。神様は悪者の家を見抜き、滅ぼしてしまいます。

ソロモンは続けてこう言います。

公義が行なわれることは、正しい者には喜びであり、不法を行なう者には滅びである。

悟りの道から迷い出る者は、死者の霊たちの集会の中で休む。(箴言21:15-16)

けれども、このソロモンの言葉を覚えておきましょう。

だれが、「私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた」と言うことができよう。(20:9)

その答えは当たり前です。誰でもそんなことが言えます。神様の前に立って、「私は罪を犯したことがない」と言える人は、一人もいません。自分の行動のために天国に行く値する人は一人もいません。

私たち皆が失敗したことがあります。私たち皆が罪を犯して、神様からの栄誉を受けることができません。だから、イエス様はこの世に来られました。私たち皆に救い主が必要だからです。

だから、あなたが神様の目に義人になりたがるなら、一番大切な命令に従ってください。

それは何でしょうか。

神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。(第一ヨハネ3:23)

あなたはどうですか。裁きの日のために準備できていますか。

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