マリヤがエリサベツの妊娠の知らせを聞くと、すぐに彼女を訪ねました。その反応は非常に理解できます。おそらく、マリヤは自分の経験が夢や幻覚ではないことを確認したかったのでしょう。
しかし、エリサベツがマリヤを見かけた瞬間、マリヤの心に残っていた疑いはすべて消えたのではないでしょうか。その瞬間、エリサベツの胎内の子どもが跳ね動き、エリサベツは聖霊に満たされて声高らかに叫びました。
あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。
ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。
主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。(ルカの福音書1:42-45)
どうしてエリサベツは、マリヤが妊娠しており、その子がメシアになることを知っていたのでしょうか。それには一つの方法しかありませんでした。神様が彼女にそのことを示されたのです。
エリサベツの言葉を聞いたことで、マリヤの疑いはすべて消え、彼女は歌い始めました。
わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。(46-50)
マリヤの言葉を読むと、私は神様が私たちをどのように祝福してくださったかについて、深く考え始めます。
マリヤのように、私たちも神様の祝福に値しない者です。私たちはただの神様の卑しいしもべにすぎません。私たちは立派な行いによってではなく、神様の素晴らしい御業によって祝福されるのです。
神様は私たちのために何をしてくださったのでしょうか。
1. 神様は私たちに哀れみを与えてくださいました。 これは、私たちだけでなく、私たちの前に生きていた信者たちにも、そして私たちの後に生きる信者たちにも与えられています。
私たちは、自分の罪のゆえに罰に値する者ですが、神様は哀れみを与えてくださいます。なぜでしょうか。
それは、十字架において、神様がご自身の怒りを私たちの代わりにイエス様に注いだからです。イエス様が私たちの罰を受けてくださったことで、私たちは神様の哀れみを受けることができるのです。
2. 神様は私たちの利益のために働いてくださいました。 (51節)たとえば、イスラエル人がエジプト人の奴隷であったとき、神様はパロを王座から引き降ろし、モーセとイスラエル人を高く引き上げてくださいました。
さらに、神様はイスラエルよりも強い国々や支配者たちを打ち倒し、イスラエル人を約束の地に導かれました。
そして、イスラエル人が何度も神様に背を向けたにもかかわらず、神様はご自身の約束を忘れずに今まで彼らを守り続けてこられました。
それは本当に驚くべきことです。いくつもの国が滅び、いくつもの民族が消えていった中で、ユダヤ人を滅ぼそうとする試みが繰り返されましたが、イスラエル人は今でも残っています。
神様がイスラエル人の利益のために働かれたように、私たちの利益のためにも働いてくださっています。そのために神様はイエス様を送られたのです。そして今でも、神様は私たちの利益のために働いておられます。
私たちの問題が私たちよりも大きいとき、神様は私たちに勝利を与えてくださいます。
私たちに必要があるとき、神様はそのニーズに備えてくださいます。
サタンが私たちを滅ぼそうとするとき、神様は私たちを守ってくださいます。
だから、マリヤのように、私たちも主をほめたたえましょう。神様が私たち一人一人に大きなことをしてくださったからです。私たちは本当に祝福されています。
