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ヨハネの福音書 ヨハネ1章

あなたのおられるところにいたいのです

ヨハネの福音書1:35-42

バプテスマのヨハネが自分の弟子たちをイエス様に向かわせた時、彼らはすぐにイエス様について行きました。

彼らにとって、ヨハネのもとを離れるのは簡単なことではなかったでしょう。もちろん、彼らはヨハネを愛し、強い関係を築いていましたが、ヨハネが彼らに教えることのできることには限界がありました。そのため、彼らが次のステップに進む時が来たのです。

なぜヨハネの教えには限界があったのでしょうか。ヨハネより優れた預言者はいなかった(マタイ11:11)ものの、彼はただの人間でした。一番偉大な人であっても限界があります。

だからこそ、彼らは次の段階に進み、神様の弟子となる必要がありました。イエス様こそ肉において現れた神様です。

彼らがイエス様に近寄った時、どんな気持ちだったのでしょうか。エデンで神様が約束されたメシアに、どう話しかけたらよいか分からず、たぶん不安で、少し怖がっていたかもしれません。こんな会話があったかもしれません。

ヨハネ:「あなたがイエス様に話しかけたらどうですか。」

アンデレ:「いや、どうぞお先に。」

結局、イエス様は彼らに気づいて声をかけられました。彼らはおそらく足を止め、心の中でこう考えたかもしれません。

「イエス様は私たちを拒絶されるのではないだろうか。私たちには何の資格もない。それでも、イエス様は私たちを受け入れてくださるだろうか。」

おそらくそんなことを考えている間に、イエス様は彼らに尋ねられました。

あなたがたは何を求めているのですか。(ヨハネの福音書1:38a)

彼らはこのように答えました。

ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。(38b)

私たちの文化では、初めて人に会う時、このような質問をするのは少し奇妙に感じるかもしれません。私たちの文化では、「はじめまして。アンデレとヨハネです。よろしくお願いします。」と言うのが一般的です。

しかし、彼らの文化では、この言葉の背後に込められた意味は次のようなものでした。

「私たちはイエス様の弟子になりたいです。イエス様がおられるところに、私たちもいたいです。イエス様から学びたいです。イエス様の教えだけでなく、イエス様の毎日の生活からも学びたいです。」

2千年が経った今でも、この本質は変わっていません。もしイエス様の弟子になりたいなら、イエス様の弟子としての態度を持たなくてはなりません。それは、イエス様と共にいたいという心です。

あなたはどうですか。この態度を持っていますか。毎朝、イエス様の足元で聖書を読み、祈り、イエス様の声を聞く時間を取っていますか。また、一日中、イエス様と共に歩む心の姿勢を持っていますか。

多くのクリスチャンは朝にイエス様と時間を過ごしますが、その後にこう言います。「じゃあ、またね。今行かなくちゃ。」

そして、次の日までイエス様について一切考えないことがあります。

しかし、私たちはどこに行ってもイエス様を連れて行くべきです。一日中イエス様の声を聞き、イエス様の導きに従うことを学ぶことが必要です。それこそが本当の弟子の姿です。

私が毎日そうしていると言えればいいのですが、正直に言うと、まだできていません。私は今も、毎日毎日、一瞬一瞬イエス様と共に歩むことを学んでいる途中です。

あなたも私と一緒に、この道を歩み始めませんか。

私はある賛美の歌がとても好きです。

I just want to be where you are.
あなたのおられるところにいたいです。
Dwelling daily in your presence.
毎日あなたと共に過ごしたいです。
I don’t want to worship from afar.
遠くから礼拝したくないです。
Draw me near to where you are.
どうかあなたのそばに私を近づけてください。

I just want to be where you are.
あなたのおられるところにいたいです。
In your dwelling place forever.
永遠にあなたの住まいにとどまりたいです。
Take me to the place where you are.
あなたのおられる場所まで私を導いてください。
I just want to be with you.
ただあなたと共にいたいのです。

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