多分あなたはもうご存じかもしれませんが、「福音」という言葉は「良い知らせ」という意味です。
しかし、私たちが「悪い知らせ」を知らなければ、その「良い知らせ」を本当に理解することはできません。その悪い知らせとは何でしょうか。
[イエス様を]信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。(ヨハネ3:18b)
最初の人間アダムの時代から、すべての人々は神様のみ前で裁きを受けることとなりました。なぜでしょうか。それは、私たちが皆、神様を信頼せずに神様に背を向け、自分の道を選んだからです。
では、なぜそれがそれほど重大な問題なのでしょうか。
使徒パウロがその答えを教えています。
罪から来る報酬は死です。(ローマ6:23)
私たちは「死刑囚となるかもしれない」という状態ではありません。実際には、私たちはすでに死刑囚なのです。なぜなら、私たちは皆罪を犯し、すでに裁きを受けたからです。
そのため、17節にはこう書かれています。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではな[い]。
なぜヨハネは、「イエス様はこの世に私たちを裁くために来られたのではない」と言うことができたのでしょうか。それは、イエス様がこの世に来られる以前に、私たちはすでに裁かれていたからです。
これが福音のもう一つの側面です。とはいえ、多くのクリスチャンはこの側面についてあまり語りたがりません。
もしあなたがイエス様を信じないのなら、将来神様に裁かれるというわけではありません。あなたはすでに裁かれているのです。
私たちはこのことをどのくらい深く考えているでしょうか。今、あなたの家族や友人、そして同僚がイエス様を知らないのであれば、彼らはすでに裁かれています。もし、あなたがイエス様を信じないのであれば、あなたもまた神様に裁かれているのです。
これは本当に恐ろしい事実です。けれども、幸いにも、素晴らしい良い知らせがあります。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(3:16-17)
私たちが神様に背を向けたにもかかわらず、神様は私たちを変わらず愛しておられました。だからこそ、神様はイエス様をこの世に送り、イエス様は十字架の上で私たちの罪の罰を引き受けてくださいました。
そのため、今、神様はあなたに問いかけておられます。「私を信じ始めますか。私の子イエスと、その十字架での働きを信じますか。」
あなた自身と、あなたが愛している人々は死刑囚であるかもしれません。そして、解放される方法はただ一つしかありません。赦される道もただ一つです。それはイエス様を信じることです。
ヨハネはこう記しています。
御子を信じる者はさばかれない。(18a)
イエス様とその十字架での働きを信じるなら、神様はあなたを赦してくださいます。その赦しは私たちの良い行動によるものではありません。むしろ、それはイエス様の十字架での働きによるのです。
神様はそれを見て、私たちにこう語られます。「私の子イエスがあなたの罪の罰を支払いました。だから、私はあなたを裁きません。」
実際のところ、神様がこれを語られる時、それは将来のことだけを指しているのではありません。今この瞬間においても、神様の前であなたは裁かれていないのです。
使徒パウロはこう述べています。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)
しかし、もしあなたがイエス様を拒絶するなら、あなたはすでに死刑囚なのです。そして、裁きの日が次第に迫っているため、ヨハネはあなたにこう語っています。
[イエス様を]信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。(ヨハネ3:18b)
あなたはどうしますか。
