もし、あなたが初めてイエス様の話を聞く時に、驚くことの一つは、宗教的なリーダーたちがイエス様を受け入れなかったことです。むしろ、彼らはイエス様を拒絶し、殺したいと思っていました。どうして彼らはイエス様に反対したのでしょうか。
イエス様によれば、彼らはいつも聖書を調べていました。もちろん、それは良いことです。しかし、彼らの問題は、神様からの栄誉を求めずに、仲間からの栄誉を求めたということです。
そのため、彼らの聖書勉強の動機は神様を求めることではなく、仲間を感動させることでした。
イエス様は、彼らにこう言われました。
わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。(ヨハネの福音書5:43-44)
私たちは仲間からの栄誉を求め、その栄誉によって誇るようになると、神様が何をなさっているか、また、神様が何を言っているかを認識できなくなります。
私たちの目で見えるし、耳で聞こえるかもしれませんが、神様の言葉と御業を受け入れなくなります。
その宗教的なリーダーたちは、そのような人々でした。
最初、彼らはバプテスマのヨハネの言葉を聞きました。そして彼らはイエス様の教えを聞き、イエス様の奇跡も見ました。
それでも彼らはイエス様を拒絶しました。むしろ、彼らはイエス様が悪霊につかれている人だと言いました。(マルコ3:22;ヨハネ8:48)
だから、彼らは本当の命を逃してしまいました。
本当の命とは神様の目的に同意し、それに参加することです。
私たちは神様が私たちの人生やこの世界で何をなさっているかを見て、その仕事に参加するべきです。私たちが本当に神様を愛しているなら、そのことに集中するはずです。
けれども、そのリーダーたちは自分自身に集中しすぎたため、神様に対する愛を持っていませんでした。だから、イエス様は彼らにこう言われました。
ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。(42)
あなたは、どうでしょうか。イエス様は、あなたに関して何と言われるでしょうか。「あなたのうちには、神の愛があります。だから、あなたの心から神様を喜ばせたがります」と言えるでしょうか。
神様からの栄誉を求めているでしょうか。それとも、人間からの栄誉を求めているでしょうか。
あなたはミニストリーをするとき、誰からの栄誉を求めているでしょうか。牧師からの栄誉を求めているでしょうか。それとも、教会の人たちからでしょうか。
人間からの栄誉を求めると、その宗教的なリーダーたちの聖書研究のように、あなたのミニストリーは自己中心的なものになります。そして、あなたには、イエス様がなさっていることが見えなくなります。
正直に言うと、説教者として、私はいつもその悪い態度と戦っています。気を付けないと、プライドは私たちのミニストリーを壊してしまうかもしれません。
だから、私たちは毎日、自分自身にこの質問を問うべきです。「私は誰を喜ばせようと思っているのだろうか。」
誰からの栄誉を求めているのでしょうか。
