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マタイの福音書 マタイ5章

山上の説教:平和をつくる者

マタイの福音書5:9

神様は、私たちを平和をつくる者として召されています。

なぜでしょうか。それは、イエス様ご自身が偉大な平和の仲介者だからです。

私たちの罪によって、神様との間に大きな隔たりがあったとき、イエス様はこの世に来て、十字架で私たちの罰を引き受けてくださいました。その御業によって、私たちは神様との平和を得ました。

だからこそ、私たちが人々を和解させるなら、私たちが本当に神の子どもたちであることを証明するのです。

神様は、ご自身の愛する子どもたちが争うことを悲しまれます。だからこそ、神様は私たちを和解のために召されるのです。

もちろん、私たちはすべての争いを止めるように召されているわけではありません。私たちがまったく関係のない争いなら、巻き込まないほうが良いでしょう。(箴言26:17)

しかし、あなたが愛する人々が争っているなら、できる限り平和をもたらすために努力すべきです。

もちろん、それには神様の知恵が必要であり、適切なタイミングを見極めることも大切です。また、愛と敬意のある関係がなければ、彼らはあなたの言葉を聞かず、かえってあなたを責めるかもしれません。

さらにもう一つの意味で、私たちは平和をつくる者として召されています。それは、神様と人々の間に平和をもたらすことです。

パウロはこう書きました。

これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。(第二コリント5:18-19)

それは大きな責任です。イエス様は十字架で和解の御業を成し遂げられました。しかし、神様は私たちにこう語られます。 「この和解の言葉をあなたに委ねます。あなたは私の使節となりなさい。」

では、その和解の言葉とは何でしょうか。

私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(5:20-21)

もちろん、私たちは人々の心を変えることはできません。それは御霊の働きです。

それでも、私たちは平和をつくる者として召されています。つまり、神様とその愛する者たちを和解させるために召されているのです。

イエス様はこう言われました。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイ5:9)

あなたはどうでしょうか。あなたは平和をつくる者ですか。

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