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マタイの福音書 マタイ5章

山上の説教:塩と光

この箇所は本当に有名ですが、どれだけ私たちはその前後に気づいているでしょうか。その前後とは何でしょうか。

イエス様は迫害について話しておられました。つまり、私たちがイエス様のために迫害された時、私たちは祝福されるのです。(5:10-12)

その言葉を言った直後、イエス様はこう言われます。

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。(5:13)

私たちは、どのように塩気をなくしてしまうでしょうか。私たちが家族や友達からのプレッシャーに負け、イエス様に従わずに彼らのようになってしまう時、私たちは塩気をなくします。

なぜなら、私たちは彼らを恐れ、彼らを喜ばせようとするあまり、神様を私たちの人生で第一にすることを忘れてしまうからです。

私たちは地の塩であるべきです。塩は食べ物を保存します。例えば、肉が腐らないように塩を使うことができます。

そのように、私たちの文化が腐らないように、私たちは人々に神様の道を教えます。それだけではなく、私たちの行動を通して神様の道を示します。そして、私たちを通して彼らは健全な人生と壊れた人生の違いを見出すでしょう。

さらに、塩は食べ物に味を付けます。そのように、私たちはこの世にイエス様の愛で味を付けるべきです。

しかし、私たちがこの世の民のように振る舞う時、この世を保存することも、この世に味を付けることもできません。

それに、神様はこの世の光となるために私たちをこの世に置かれました。私たちは隠れることのできない町であるべきです。それはどうしてでしょうか。道に迷った人々や傷ついて死にかけている人々に神様の栄光を示すためです。

それなら、どうして私たちは相手からのプレッシャーのためにその光を隠すのでしょうか。

あなたはどうですか。あなたはこの世の民のようになったために塩気をなくしたでしょうか。あなたの光は周りの人々に見えなくなってしまいましたか。

誰を喜ばせたいですか。神様でしょうか、それとも周りの人々でしょうか。私たちはイエス様の言葉に従いましょう。つまり、

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:16)