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マタイの福音書 マタイ5章

山上の説教:和解

マタイの福音書5:23-26

前の記事で、私たちはこの言葉を読みました。

平和をつくる者は幸いです。(マタイ5:9)

その言葉を読むと、多くの場合、私たちはケンカしている二人の友達を助けることを考えます。

けれども、私たち自身がケンカをしている時にも平和を作る者になるべきです。

イエス様はこう言われました。

だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。

それから、来て、その供え物をささげなさい。(5:23-24)

注意事項が二つあります。

まずは、イエス様は「もしあなたの兄弟があなたに恨みをもつなら、あなたは彼のところに行って、仲直りしなさい。」と言われます。

多くの場合、私たちは自分が悪いことをしていないと思うのに、誰かが私たちに怒っています。だから、私たちは「それは彼の問題です。私には関係ない。」と言います。

しかし、そうするなら、実はあなたは彼のことを見下しています。

あなたは口では言わないかもしれませんが、あなたの行動によって、「この人は私の時間に価値しない。もし彼が問題を抱えているなら、彼がこちらに来るべきだ。」という態度を示します。

けれども、イエス様はそのような態度を許されません。もし誰かが私たちを恨んでいるなら、私たちは積極的に仲直りしようとしなくてはなりません。

時には、あなたが謝らなくてはならない場合もあります。

あなたはこう言うかもしれません。「でも、私は悪いことをしていないのに。」

そうかもしれません。相手が繊細過ぎるかもしれません。それでも、相手の感情を考えてください。もしあなたの行動や言葉で彼らを傷つけたのであれば、あなたは謝るべきです。

せめて、「思わずあなたを傷つけてしまい、ごめんなさい。許してくれませんか。」と言った方が良いです。

そして、彼らを傷つけた言葉や行動を二度としないように気を付けるべきです。これは、相手のためだけでなく、彼らのために十字架で死なれたイエス様のためでもあります。

二つ目は、私たちの壊れた人間関係が、私たちの神様との関係に影響を与えるということです。

もし私たちができる限り相手と仲直りしようとしないのなら、神様は私たちの供え物を受け入れてくださいません。ペテロも、夫が妻を思いやりを持って扱わないなら、神様があなたの祈りを受け入れてくださらないと言います。(第一ペテロ3:7)

さらに、もし私たちが本当に悪かった場合、イエス様は私たちがすぐに積極的に償いをしなくてはならないと言われました。

あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。

そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。

まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。(5:26-28)

でも、あなたが悪くなくても、できるだけ相手と仲直りをしようとするべきです。

もう一つのポイントがあります。時々、相手には私たちと仲直りする気がありません。それは私たちがコントロールできないことです。私たち自身の行動だけがコントロールできます。

だから、相手のために祈ってください。相手と仲直りするために何をした方がいいか、神様に尋ねてください。そして、神様があなたにアイデアを与えてくださるなら、それを実行すべきです。

そのあとのことは、相手の責任です。もし彼らが反応しないなら、その状況を神様の手にゆだねることしかできません。

パウロはこう書きました。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)

あなたの周りの人々とはどのような関係がありますか。

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