一つの記事で主の祈りについて話そうかなあと思ったけれど、結局少しずつ話した方が良いと思いました。
この箇所では、イエス様は神様をどのように呼ぶべきか教えてくださいます。
マタイの福音書では、イエス様は「天にいます私たちの父よ」と祈ります。
ルカの福音書では、イエス様はもっと簡単な表現で「父よ」と祈ります。
実際、日本では、主の祈り以外で「天にいます私たちの父よ」や「父よ」と祈る人はほとんどいないように感じます。
むしろ、私の教会では「天のお父様」と祈る人が多いです。
その理由は正確には分かりません。私の個人的な意見ですが、クリスチャンがこのような呼び方を使うと、少し神様との距離を感じさせるように思います。
もし、「天のお父さん」や「お父さん」と祈れば、イエス様が意図された意味により近づくのではないでしょうか。
なぜなら、イエス様は私たちが神様に親しみを持ち、近づくべきだと教えることを望まれたのだと思います。
もちろん「主よ」と祈ることも良いことです。神様はまさに私たちの主であり、その呼び方はふさわしいものです。ペテロもそのように祈りました。(使徒4:24)
けれども、依然と言ったように、その呼び方は、神様と私たちの間に距離があることを暗示します。もちろん、王様としもべには関係がありますが、親しい関係ではありません。そのしもべは、いつでも王様と話すことができるわけではありません。
しかし、王様の子供は、いつでもそのお父さんと話すことができます。その子は、王に仕えるしもべにはないアクセスを持っています。それに、その子は、父の愛を確信しています。
私たちの天のお父さんは、大いなる王です。神様は、この世界、この宇宙を支配されています。それでも、神様はいつでもあなたのために時間を割いてくださいます。なぜなら、神様はあなたの王だけではなく、あなたのお父さんでもあるからです。
残念なことに、多くの人々は「天のお父さん」と祈っても、その言葉の意味を深く理解していません。なぜなら、彼らの実のお父さんが不完全だったからです。
そのお父さんは、彼らの話を聞いてくれず、愛してくれず、養ってくれなかったかもしれません。また、中にはお父さんから虐待を受けた人もいます。
だから彼らは、その否定的なイメージを天のお父さんに投影してしまいます。
しかし、神様はそのようなお父さんではありません。たとえあなたの実のお父さんが欠点を抱えていたとしても、神様にはそのような欠点はありません。
神様は、あなたを愛してくださいます。神様は、あなたの祈りを聞いてくださいます。神様は、あなたのニーズに備えてくださいます。そして、神様は、決してあなたを捨てられることはありません。
あなたが「天のお父様」と祈るとき、どんなイメージを持っていますか。
もし否定的なイメージを持っているなら、神様があなたの実のお父さんとは異なる存在であることを心に留めてください。そして、次のように祈ることをおすすめします。
神様が、あなたの実のお父さんによって受けた傷を癒してくださるように。あなたが実のお父さんを赦せるように。そして、神様があなたの「天のお父さん」へのゆがんだイメージを正してくださるように祈りましょう。
神様は完全なお父さんです。あなたが天のお父さんを本当に知ることができますように。
