アメリカでは、ある牧師や伝道師がこう教えています。「もし、あなたが何かを欲しがっているなら、あなたがイエス様のみ名によって願うと、神様はその祈りをかなえなくてはならなくなるのです。」
彼らにとって、神様はまるでアラジンの魔人のような存在です。しかし、神様は魔人ではありません。神様には私たちの願いをかなえる必要などありません。
ここで注意すべき言葉の一つは「良いもの」です。つまり、神様は求める者たちに「良いもの」を与えてくださいます。(マタイ7:11)
けれども、時には、私たちが神様に何かを祈っても、その願いが良くないことを神様はご存じです。
例えば、私たちはパンを願っていると思っていても、実際には石を求めているかもしれません。
また、私たちは魚を願っていると思っていても、実際には蛇を求めているかもしれません。
その場合、神様は石を与えてくださるでしょうか?蛇を与えてくださるでしょうか?きっとそのようなものは与えられません。なぜなら、神様は良いお父さんだからです。
そのため、私たちは大胆に神様に祈ることができます。もし私たちが良いものを祈るなら、神様は最も良いタイミングでその祈りをかなえてくださいます。しかし、もし私たちが悪いものを求めるなら、神様はその祈りを断られます。
このようにして、イエス様はこう教えられました。
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(ルカ11:9-10)
多くの場合、神様から与えられない理由は、私たちが求めないのです。
時々、私たちはこう考えます。「これは自分勝手な祈りではないだろうか。他のものを祈るべきではないか。もっと大切なことを祈るべきではないか。」
このような時に覚えておくべきことが二つあります。
1.私たちの想像以上に、神様は気前の良い方です。神様は私たちを愛しておられ、良いものを私たちに与えてくださいます。
ルカの福音書では、イエス様が少しユーモラスな話をされます。ある人が寝ようとしていたところ、隣人がしつこくその人をたたき起こして「パンをちょうだい」と頼み続けました。最終的に、その人は「しつこいなあ」と思いながらも隣人にパンを与えました。
イエス様は神様がそのようにイライラされると言っているのではありません。むしろ、イエス様はこう言われます。
「その人が疲れて隣人のしつこさにイライラしていても、相手にパンを与えるなら、なおさら、あなたを愛しておられる天の父が喜んであなたの祈りに答えないことがあるでしょうか。」
2.神様は私たちがご自分をもっとよく知ることを望んでおられます。また、私たちが神様をより信頼することを望んでおられます。そして、私たちが神様の良さを体験し、知ることを望んでおられます。
祈りは、この神様を知るプロセスの重要な部分です。私たちは祈れば祈るほど、神様の御心をより深く理解できるようになります。何が「良いもの」であり、何が「悪いもの」であるかを区別できるようになります。
そして、かなえられた祈りと断られた祈りを通して、私たちは神様の判断と知恵を信頼する方法を学びます。
けれども、私たちが求めなければ、そのような学びや成長は決して得ることができません。
だからこそ、求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。そうするなら、あなたが期待する以上に多くのドアが開かれるでしょう。そして、神様のことをもっと知り、その御心を理解することで、神様とのより親しい関係が築かれるでしょう。
