私は汚い言葉を聞くとき、本当に気になります。特に、クリスチャンがそのような言葉を使うとき、心が痛みます。なぜなら、私たちの言葉は、心の中にあるものを反映しているからです。
パリサイ人たちが「イエス様は悪霊につかれている」と非難したとき、イエス様は次のように答えられました。
木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。
まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。
わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。
あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:33-37)
つまり、彼らの堕落した言葉は、彼らの堕落した心を表していたのです。
だからこそ、イエス様は私たちの無駄な言葉でさえも裁かれるとおっしゃいました。なぜなら、私たちの言葉は、私たちの心の状態を表すからです。
もし私たちの心が良い実で満たされているなら、私たちの口からは良い言葉が流れてきます。しかし、私たちの心が腐ったもので満たされているなら、腐った言葉が口から流れてくるのです。
だから、もし腐った言葉があなたの口から出るなら、驚かないでください。それは、あなたの心がそのような状態であることを示しているのです。そして、もしそんな腐ったものが心にあるなら、あなた自身の心を探り、悔い改める必要があります。
もしあなたの心に苦々しい思いが満ちているなら、苦々しい言葉が口から出ます。もしあなたの心が汚れているなら、汚い言葉が口から出ます。
あなたの心には、何が満ちていますか?あなたの口からは、何が流れ出ていますか?
