迫害。
それは、とても嫌な響きを持つ言葉かもしれませんね。迫害について話したいと思う人はあまりいないでしょう。けれども、聖書では「迫害が来る」という警告が繰り返し記されています。
パウロは次のように言いました。
確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。(第二テモテ3:12)
「もしかしたら、迫害を受けるかもしれません」とは書いてありません。「確かに迫害を受けます」と書かれています。
前回の記事でもお話ししましたが、もしあなたがイエス様のようになりたいと思うなら、必ずあなたを憎む人が出てくるでしょう。迫害は憎しみの次の段階です。
だからこそ、イエス様は弟子たちにも、私たちにも警告されました。イエス様は私たちのことを「狼の中の羊」と呼ばれました。
迫害について、イエス様はどのような指示を与えてくださるでしょうか?
まず最初に、「気をつけなさい」ということです。あなたの信仰のために、あなたを攻撃する人がいるかもしれません。
イエス様は肉体に対する攻撃について話されましたが、心に対する攻撃もあります。あなたの信仰のために、言葉を用いて攻撃する人もいるのです。
そのような人々をよく理解してください。そして、感情的な危険がある場合や、物理的な危険がある場合には、すぐにその場から離れてください。
福音を伝えたなら、それであなたの役割は果たされています。もし彼らがあなたの言葉を拒絶するなら、イエス様は次のように言われました。
あなたがたの足のちりを払い落としなさい。(マタイの福音書10:14)
それは少し奇妙に見える表現かもしれませんが、その当時の文化では珍しいことではありませんでした。
ユダヤ人たちは外国を出たとき、その地のちりを払い落としました。なぜなら、そのちりをイスラエルに持ち帰ると、イスラエルが汚れると考えていたからです。
つまり、イエス様が意味されたのは、「もし相手が福音を拒絶するなら、彼らが汚れた状態であることを示しなさい。彼らは裁きを受けますが、それは彼ら自身の責任であることを伝えなさい。」ということです。
そして、その場を立ち去りなさい。あなたの役割は果たされています。彼らからの暴力や辛辣な言葉に耐え続ける必要はありません。
とはいえ、一度迫害を受けると、将来の迫害を恐れるようになるのは簡単なことです。そのため、他の人々に福音を伝えることをためらうかもしれません。
それでも、イエス様は私たちを励ましてくださいます。
だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。
わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。(26-27)
つまり、「私があなたに教えたことは最終的にみんなの前に現れます。迫害を受けたとしても、その言葉を止めることはできません。だから、恐れずに、大胆にその言葉を伝えなさい。」
そして、イエス様は次のように言われました。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(28)
あなたの魂を滅ぼす方はサタンではありません。それは神様です。サタンは地獄の囚人になる存在です。(サタンはまだ地獄にはいません。)サタンは地獄の支配者ではないのです。
しかし、心に留めてください。多くの人々が神様を拒絶しているため、毎日彼らは死に、地獄に行っています。不潔なものは天国に入ることができないため、神様は彼らを地獄に送らざるを得ません。
だからこそ、もし私たちが彼らを愛しているなら、迫害への恐れを捨て、大胆に福音を述べ伝えるべきです。
そして、イエス様は私たちを慰めてくださいます。
二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。(29-31)
つまり、迫害が来ても、神様はあなたのことを決して忘れることはありません。神様はあなたを助けてくださいます。
そして、もしイエス様のために命を捧げることになったとしても、神様はあなたと共におられ、すぐにイエス様のお顔を拝することができます。
だから、迫害を恐れないでください。むしろ、私たちに与えられた命の言葉を大胆に伝えましょう。
