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マタイの福音書 マタイ10章

迫害が来ると

マタイの福音書10:14-31

迫害。

それは、とても嫌な響きを持つ言葉かもしれませんね。迫害について話したいと思う人はあまりいないでしょう。けれども、聖書では「迫害が来る」という警告が繰り返し記されています。

パウロは次のように言いました。

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。(第二テモテ3:12)

「もしかしたら、迫害を受けるかもしれません」とは書いてありません。「確かに迫害を受けます」と書かれています。

前回の記事でもお話ししましたが、もしあなたがイエス様のようになりたいと思うなら、必ずあなたを憎む人が出てくるでしょう。迫害は憎しみの次の段階です。

だからこそ、イエス様は弟子たちにも、私たちにも警告されました。イエス様は私たちのことを「狼の中の羊」と呼ばれました。

迫害について、イエス様はどのような指示を与えてくださるでしょうか?

まず最初に、「気をつけなさい」ということです。あなたの信仰のために、あなたを攻撃する人がいるかもしれません。

イエス様は肉体に対する攻撃について話されましたが、心に対する攻撃もあります。あなたの信仰のために、言葉を用いて攻撃する人もいるのです。

そのような人々をよく理解してください。そして、感情的な危険がある場合や、物理的な危険がある場合には、すぐにその場から離れてください。

福音を伝えたなら、それであなたの役割は果たされています。もし彼らがあなたの言葉を拒絶するなら、イエス様は次のように言われました。

あなたがたの足のちりを払い落としなさい。(マタイの福音書10:14)

それは少し奇妙に見える表現かもしれませんが、その当時の文化では珍しいことではありませんでした。

ユダヤ人たちは外国を出たとき、その地のちりを払い落としました。なぜなら、そのちりをイスラエルに持ち帰ると、イスラエルが汚れると考えていたからです。

つまり、イエス様が意味されたのは、「もし相手が福音を拒絶するなら、彼らが汚れた状態であることを示しなさい。彼らは裁きを受けますが、それは彼ら自身の責任であることを伝えなさい。」ということです。

そして、その場を立ち去りなさい。あなたの役割は果たされています。彼らからの暴力や辛辣な言葉に耐え続ける必要はありません。

とはいえ、一度迫害を受けると、将来の迫害を恐れるようになるのは簡単なことです。そのため、他の人々に福音を伝えることをためらうかもしれません。

それでも、イエス様は私たちを励ましてくださいます。

だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。

わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。(26-27)

つまり、「私があなたに教えたことは最終的にみんなの前に現れます。迫害を受けたとしても、その言葉を止めることはできません。だから、恐れずに、大胆にその言葉を伝えなさい。」

そして、イエス様は次のように言われました。

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(28)

あなたの魂を滅ぼす方はサタンではありません。それは神様です。サタンは地獄の囚人になる存在です。(サタンはまだ地獄にはいません。)サタンは地獄の支配者ではないのです。

しかし、心に留めてください。多くの人々が神様を拒絶しているため、毎日彼らは死に、地獄に行っています。不潔なものは天国に入ることができないため、神様は彼らを地獄に送らざるを得ません。

だからこそ、もし私たちが彼らを愛しているなら、迫害への恐れを捨て、大胆に福音を述べ伝えるべきです。

そして、イエス様は私たちを慰めてくださいます。

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。

また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。(29-31)

つまり、迫害が来ても、神様はあなたのことを決して忘れることはありません。神様はあなたを助けてくださいます。

そして、もしイエス様のために命を捧げることになったとしても、神様はあなたと共におられ、すぐにイエス様のお顔を拝することができます。

だから、迫害を恐れないでください。むしろ、私たちに与えられた命の言葉を大胆に伝えましょう。

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