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ヨハネの福音書 ヨハネ6章

躓かせる者

ヨハネの福音書6:60-71

イエス様の話を聞いたとき、なぜユダヤ人は気分を害したのでしょうか。もしかすると、彼らはイエス様の言葉を誤解していた可能性があります。つまり、

まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。(ヨハネの福音書6:53-56)

もし、その言葉を文字通りに解釈するなら、誰でも面食らうでしょう。

とはいえ、子供のころから、ユダヤ人たちは獣や鳥を食べる前に、その血を注ぎ出さなくてはならないと教えられていました。つまり、血を食べては絶対にいけないと教えられていたのです。(レビ記17:10-14)

しかし、その時、イエス様は文字通りに話しておられたわけではありません。イエス様はたとえ話をされていたのです。

以前の記事で私はお伝えしましたが、イエス様の肉を食べるということは、イエス様のもとに来るという意味です。イエス様の血を飲むということは、イエス様を信じるという意味です。

そして、あなたがイエス様のもとに来て信じるなら、あなたは決して霊的に飢えることも渇くこともありません。(ヨハネ6:35)

とにかく、ユダヤ人たちはイエス様の言葉を文字通りに解釈したために機嫌を悪くしたのかもしれません。

とはいえ、もしかすると、彼らはイエス様の言葉を正しく理解していたものの、その言葉を受け入れることができなかったのかもしれません。つまり、永遠の命に至る唯一の道はイエス様しかないということです。

今でも、人々はその言葉を聞いて、「これはひどい言葉だ。そんなことを誰が聞いていられるだろうか」と言います。(60)

クリスチャンたちが、神様への道はキリストだけだと言うと、多くの人々がむっとします。だから時には、クリスチャンのリーダーたちでさえ、その真理を教えることをためらいます。

「まあ、多分イエス様は、自分がただ一つの道だと意味されたわけではないだろう。他にも方法があるのかもしれない。」

しかし、イエス様が「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」と言われたとき、それは本気でそうおっしゃったのです。

もしイエス様のもとに行かず、信じないなら、誰も永遠の命を受けることはできません。イエス様を拒絶する人には、裁きしかありません。

イエス様はユダヤ人たちにこう言われました。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。(63)

つまり、「律法を守るあなた自身の努力を通して、あなたは天国に行こうとしています。ところが、その努力はむなしいものです。なぜなら、あなたの努力は足りないからです。

実は、あなたの良い行動は、神様の目には汚れた着物のように見えます。御霊だけがあなたたちに永遠の命を与えることができるのです。

けれども、あなたたちが私のもとに来て信じて初めて、御霊はその命を与えてくださいます。」

そして、イエス様はこう言われました。「わたしの言葉は霊的なものです。もし、あなたたちがその言葉を信じて初めて、命を与えられるのです。」(63)

しかし、多くの現代の人々のように、多くのユダヤ人たちはイエス様の言葉を拒絶し、立ち去ったのです。

ですから、イエス様が弟子たちに問いかけられたように、私たちにも問いかけておられます。

まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。(67)

ペテロのように答えましょう。

主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。

私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。(68-69)

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