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マタイの福音書 マタイ15章 マルコの福音書 マルコ7章

手引きする盲人から立ち去る

マタイ15:1-14;マルコ7:1-15

この箇所では、イエス様が再びパリサイ人たちと向き合われます。イエス様の弟子たちはユダヤ人の長老たちの伝統に従わず、手を洗わずにパンを食べたのです。そのため、パリサイ人たちはイエス様とその弟子たちを批判しました。

ところが、イエス様はパリサイ人たちを批判されました。なぜなら、彼らは自分たちの伝統を守るために神様の律法を犯していたからです。例えば、パリサイ人たちはユダヤ人に次のように教えていました。

「もしあなたのご両親が貧しくても、『私のお金は神様にささげたので、あなたを助けることができない』と言うのであれば、ご両親を助けなくてもよい。」

しかし、神様は「あなたの父と母を敬いなさい」と命じられました。

そのため、イエス様は預言者イザヤの言葉を用いてパリサイ人たちを指摘されたのです。

この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。

彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。(マタイ15:8-9)

そのあと、主の弟子たちはイエス様にこう言いました。

パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。(マタイ15:12)

けれども、イエス様はこのように答えられました。

わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。

もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。(マタイ15:13-14)

私たちはこの箇所から何を学ぶことができるでしょうか。それは、誰の教えを聞くか注意深く選ぶべきだということです。

多くの人々は上手に話すことができます。彼らは話す際に、あたかも神様からの権威を持っているかのように見えることがあります。

しかし、もし彼らの言葉が神様の言葉に反するのであれば、そのミニストリーは最終的に偽物として暴露され、引き抜かれるのです。

この世では、そのミニストリーが一時的に栄えることがあったとしても、裁きの日には神様がその働きを焼き尽くしてしまわれます。

そのリーダー自身は救われるかもしれませんが、彼らが達成したものはすべて焼き尽くされてしまうのです。(第一コリント3:10-15)

ですから、聞くべき教えを注意深く吟味しましょう。牧師の教えであれ、クリスチャン書籍の教えであれ、ポッドキャストの講師の教えであれ、慎重に調べる必要があります。

その教えが聖書と一致するなら、従うべきです。けれども、聖書の教えと異なるなら、その人の言葉を捨てるべきです。

もしその先生が何度も聖書と異なることを教えるのであれば、その人から離れるべきです。さもなければ、彼らが陥った穴にあなたも陥るでしょう。

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