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私たちの価値観の土台とは?

マタイ15:1-9;マルコ7:1-13

何によって、自分の価値観が基づいているのでしょうか。それは本当に重要な質問です。なぜなら、あなたの価値観が、あなたのさまざまな決断に影響を与えるからです。

パリサイ人たちにとって、モーセの律法や預言者の言葉は非常に大切なものでした。とはいえ、彼らにとって伝統はそれ以上に重要なものでした。

おそらく彼らは言葉では表さなかったかもしれませんが、行動でそれを示していました。そのため、時々彼らは神様の戒めを無視し、自分たちの伝統に従うことを選んでいました。

だからこそ、イエス様は彼らを厳しく非難されたのです。

あなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。(マタイ15:6)

あいにく、たくさんのクリスチャンがそのように生きています。神様の言葉を無にして、別の基準に従うのです。

ある人は自分の文化や伝統に従います。たとえば、仏壇で線香をあげる人がいます。

「それはただの文化的なことです。深い意味はありません。ただ日本の風習です。」

けれども、そのようにすることで、文化や伝統のために神様の戒めを無視しているのです。(第一コリント10:19-22)

文化は別の形で私たちに影響を与えることもあります。

例えば、アメリカでは、一部の人々がこう言います。「私はキリストを信じて従います。とはいえ、聖書が間違っていると信じ、同性愛は良いものだと考えます。」

なぜ彼らはそのように信じているのでしょうか。彼らは神様に反抗する文化にますます従っているからです。彼らの価値観は、この世の文化に合わせて調整されています。しかし、それをすることで、神様の戒めを捨てざるを得なくなります。

あるクリスチャンは自分の誤った意見を離さずに神様の戒めを捨てます。例えば、神様は「クリスチャンではない人と結婚してはならない」と言われます。

それでも、彼らはこう言います。「でも、私はこの人を愛しています。きっとなんとかなるでしょう。」

その結果、彼らは神様の戒めを捨て、その人と結婚するのです。

あなたはどうでしょうか。あなたの価値観の基準は何でしょうか。文化でしょうか。伝統でしょうか。自分の意見でしょうか。

真実はただ一つの基準しかありません。それは神様の言葉です。

文化は変わるかもしれません。伝統は変わるかもしれません。あなたの意見も変わるかもしれません。しかし、神様の言葉は決して変わることはありません。

預言者イザヤはこう言いました。

草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ40:8)

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