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律法主義?それとも、この世を愛する?

マタイ15:29-39;16:1-12;マルコ8:1-21

私は、このブログで何度も言っていることですが、牧師のメッセージを聞くときも、ポッドキャストを聞くときも、クリスチャンの本を読むときも、その教えを必ず聖書と比べるべきです。

実際、このブログの記事も同様です。私が書く内容も、聖書と比べて確認する必要があります。(あなたがこのブログを読まれる際、ぜひ聖書の箇所も読んで、私の言葉を確かめてみてください。)

さて、この箇所では、私たちがなぜ人々の教えを聖書と比べるべきなのか、その重要性を学ぶことができます。

この箇所では、イエス様が5000人にパンを与える奇跡を繰り返されます。けれども、この出来事はまったく別のものです。人数も異なり、パンと魚の数も違っています。

その奇跡の後、パリサイ人たちとサドカイ人たちがイエス様のもとに来ました。(もしかすると、サドカイ人たちの中にはヘロデ王に従う者も含まれていたかもしれません。)

彼らは再びイエス様に天からのしるしを求めましたが、イエス様はそれを断られました。そして、その会話の後、イエス様は弟子たちにこう言われました。

パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。(マタイ16:6)

(マルコによれば、イエス様は「ヘロデのパン種に十分気をつけなさい」と言われました。多分、イエス様はヘロデに従うサドカイ人たちについて話されたのでしょう。)

いつものように、弟子たちは混乱しました。

「私たちはパンを持っていない。でも、もしかすると、パリサイ人やサドカイ人からパンを買うことは禁止されているのではないでしょうか。」

しかし、イエス様は彼らを叱られました。

「なぜ、パンについて話しているのですか。あなたたちは、私が5000人にパンを与えた時、また、4000人にパンを与えた時のことをもう忘れてしまったのですか。私は、そんなパンについて話しているのではありません。」

そして、マタイはこう記しています。

彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。(マタイ16:12)

彼らの教えは何だったでしょうか。

パリサイ人の教えは律法主義でした。彼らは、自分の良い行動によって神様の国に入ることができると考えました。だから、彼らは律法を勉強し、その律法に従おうと懸命に努力しました。

ところが、彼らは神様の律法に多くのルールを加えたため、人々に神様が意図されなかった重荷を負わせました。それだけでなく、彼らは自分たちが加えたルールを守らない人々を批判しました。

さらに、彼らは神様の律法に反するルールさえも作り上げました。

それだけではなく、彼らは律法の細かな点に集中しすぎたため、その律法の精神を見逃してしまいました。その結果、彼らは誤って人々を裁き、本当の正義と憐れみを忘れてしまったのです。他の箇所を読むと、そのことがより明確にわかります。

一方、サドカイ人たちは富と力に強い関心を持っていました。そのため、彼らはローマ帝国(およびヘロデ王)と協力しました。また、彼らは復活を信じていませんでした。そのため、永遠の物ではなく、一時的な物事に重点を置いていました。

だからこそ、イエス様は律法主義とこの世を愛することに対して警告を発せられたのです。どちらもパン種のように教会の中に広まり、やがて神様がその教会を用いられなくなる原因となるからです。

残念ながら、その時代の多くの人々は、パリサイ人とサドカイ人の教えを吟味しませんでした。

そのため、彼らは律法とルールに押しつぶされ、神様に裁かれると感じました。また、別の人々は永遠の物に目を向けることなく、一時的な物のためだけに生きていました。

では、あなたはどうでしょうか。あなたは、この二つの罠に陥っていないでしょうか?

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