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最も大切な質問

マタイ16:13-16、20;マルコ8:27-30;ルカ9:18-21

イエス様がミニストリーの半ばに差し掛かった頃、十字架のことを考え始められました。それゆえ、イエス様は弟子たちが自分についてどう思っているかを知りたいと願われました。

彼らはイエス様をただの預言者だと考えていたでしょうか。ただの良い教師だと思っていたでしょうか。

そこで、イエス様は弟子たちにこう尋ねられました。「人々は私のことをだれだと言っていますか。」

弟子たちは様々に答えました。その後、イエス様はさらに問われました。「では、あなたがたは、私をだれだと言いますか。」

この問いは、あの時代の人々のためだけでなく、すべての世代の人々のためのものです。今もなお、イエス様は私たちに尋ねられます。「あなたは私をだれだと言いますか。」

イエス様を預言者だと思うでしょうか。もちろん、イエス様は預言者でした。イエス様を通して、私たちは神様の言葉を聞くことができます。

では、イエス様を良い人だと思うでしょうか。もちろん、イエス様は良い人です。彼は一切罪を犯されませんでした。

とはいえ、イエス様はただの預言者なのでしょうか。ただの良い人なのでしょうか。

ペテロはそうは考えませんでした。彼はこう言いました。

あなたは、生ける神の御子キリストです。(マタイ16:16)

ペテロがそう言ったとき、ユダヤ人たちは「メシア」、つまり「キリスト」という言葉の本当の意味を十分に理解していませんでした。(「メシア」と「キリスト」は同じ意味です。)

弟子たちも、その意味を完全には理解していませんでした。そのため、イエス様はご自身がキリストであることを誰にも言ってはならないと、弟子たちを戒められました。

もしある概念を理解できていなければ、それを他の人々に正しく説明することは難しいでしょう。

彼らは、メシアが人々の罪のために死ななければならないことを理解していませんでした。彼らが理解していたのは、「いつかメシアがイスラエルを治める」ということでした。

そのため、「キリスト」や「メシア」という言葉を聞くと、そのイメージがまず浮かびました。

あなたはどうでしょうか。イエス様がメシアであることを信じていますか?つまり、イエス様があなたの罪のために死なれたことを信じていますか?そして、イエス様はあなたの王ですか?あなたの人生をイエス様に捧げていますか?

イエス様は、ただの預言者ではありません。イエス様は、ただの良い人でもありません。イエス様は神です。

ユダヤ人たちは、イエス様の主張を正しく理解していました。確かに、ある意味では私たちすべてが神の子供です。なぜなら、神様が私たちを創造されたからです。

けれども、イエス様は「神様が自分を造られた」という意味ではなく、「自分は永遠から本当に神の子である」と主張されました。

そのような主張は、実際には「自分が神である」という宣言です。

その主張のために、ユダヤ人たちはイエス様を十字架につけて殺しました。(ヨハネ5:18、マタイ26:63ー66)

もしイエス様があなたの神であり、王であるなら、イエス様はあなたの礼拝と奉仕に値します。しかし、あなたは本当にそう信じていますか? ペテロのように、あなたは言うことができますか?「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

もしあなたがそのことを信じているけれど、まだ告白していないのなら、今、祈りませんか。

イエス様、私はあなたをただの良い人だとは思いません。私はあなたをただの預言者だとも思いません。

あなたが神であることを信じます。 私は、あなたが十字架で私の罪のために死なれたことを信じます。また、あなたが三日目によみがえられたことを信じます。 それを心から感謝します。

どうか私の神になってください。私の王になってください。 これから、私はあなたに従いたいです。どう生きるべきかを教えてください。アーメン。

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