昨日もこの個所について書きましたが、また別のことが私の心を打ちました。
時に、私たちが人々に神様の真理を伝えると、相手にむっとされることがあります。その人が真理を信じず、私たちを憎むことさえあるかもしれません。
イエス様も、そうした不信と憎しみを経験されました。イエス様の兄弟たちでさえ、イエス様を信じず、からかったのです。
そのため、イエス様は彼らにこう言われました。
世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行ないが悪いことをあかしするからです。(ヨハネの福音書7:7)
現代のアメリカでは、クリスチャンたちが同性愛は罪であると言うと、多くの人々は「あなたの心は狭い。あなたは偏屈だ」と言います。
イエス様はこの箇所で、そのことについて警告されました。私たちは世の中で、その行いが悪いことを証しするなら、憎まれ、迫害されることがあります。
以前私が言ったように、真理を伝えるには正しい方法と悪い方法があります。私たちは相手を憎まず、愛をもって真理を伝えるべきです。
私の娘が4歳の時、私はよくこう言いました。「危ないよ。駐車場や道に飛び出してはいけない。車に轢かれるよ。」
どうして私はそう言ったのでしょうか。それは娘を愛しているからです。
人々を彼らの罪のゆえに警告するとき、私たちもそんな態度を取るべきです。その罪が本当に酷いものでも、私たちは彼らを軽蔑せず、憎むべきではありません。
むしろ、彼らが悔い改めて救われることを願うべきです。そして、彼らが神様の恵みと憐れみを知ることを願うべきです。
しかし、愛をもって真理を伝えても、私たちが憎まれる場合もあります。イエス様は完全な神の子でした。それでも、人々はイエス様を信じず、憎み、イエス様を十字架で殺しました。
私たちは違う反応を期待するべきでしょうか。
