以前、イエス様は弟子たちに「私が誰だと思うか」と問いかけられました。(マタイ16:13)
この箇所では、ほかのユダヤ人たちがエルサレムで同じ質問に直面しました。
いろいろな意見がありました。
「イエス様は良い人だ。」
「イエス様は預言者だ。」
「違う。イエス様は群衆を惑わしている。彼は悪霊につかれている。」
「いや、メシアじゃないでしょうか。」
どうしてユダヤ人たちはそんなに混乱していたのでしょうか。
一つの理由は、彼らが「メシア」、つまり「キリスト」がどんな方であるかを誤解していたからです。
彼らはキリストが奇跡的に現れると思っていました。けれども、彼らはイエス様の家族を知っていると思い込んでいました。(ただし、その話の全てを理解していたわけではありません)。
それに、イエス様は律法学者のように特別な教育を受けていませんでした。
もう一つの理由は、イエス様が律法学者の伝統を何度も破ったことです。例えば、安息日にイエス様は人々を癒しました。
イエス様は安息日に良いことをするのは合法であると教えましたが、彼らは自分たちの伝統を手放すことができませんでした。彼らは自分たちが律法をよく知っていると思い込んでいたため、その大工の意見を受け入れることができなかったのです。
三つ目の理由は、ユダヤ人のリーダーたちが律法をよく知っていると思っていたものの、実際には多くのことを見逃していたからです。そのため、ニコデモがイエス様を擁護しようとした際、彼らはこう答えました。
あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。(ヨハネの福音書7:52)
けれども、イザヤ書9章には、キリストがガリラヤで現れることが書かれています。
とはいえ、イエス様は最も大切な理由を伝えられます。
だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。(17)
つまり、あなたが心から神様を求めるなら、神様を見つけることができます。そして、イエス様を見るなら、イエス様がキリストであることを理解します。けれども、心から神様を求めなければ、その真理を理解することはできません。
パリサイ人たちは宗教的な熱心を持っていましたが、同時にプライドを持ち、偽善者でした。彼らは神様を求めているように見えましたが、実際には人間の喝采を求めていました。そのため、彼らはイエス様を見ても、イエス様を認めませんでした。
その一方、神様を求める人々は真理を見ることができました。なぜなら、彼らは神様の前にへりくだったからです。
あなたはどうでしょうか。あなたはまだイエス様が誰なのか疑問に思っていますか。自分のプライドを捨ててください。神様に関するあなた自身の意見を捨ててください。
お金よりも、自分の幸せよりも、すべてよりも、神様を求めてください。そうすれば、あなたの混乱がなくなり、神様はご自身をあなたに現わしてくださいます。

One reply on “イエス様は誰でしょうか”
ハレルヤ。感謝します。私もメッセージの最後にある祈りをしました。私も主を熱心に求めて、主を見出したいです。疑いや不信仰や罪を全て捨てて、主を心の底から礼拝したいです。感謝します。
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