時々、人々は「キリスト教のルール」を見て、束縛されるように感じます。だから、彼らはこう思います。「私がそのルールに従うなら、私は人生を楽しめない。」
しかし、イエス様の言葉は私たちを束縛するためのものではなく、私たちを解放するためです。だから、イエス様はユダヤ人たちにこう言われました。
もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネの福音書8:31-32)
それを聞いて、多くの現代の人たちはそのユダヤ人たちのように反応します。
私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、「あなたがたは自由になる」と言われるのですか。(33)
現代では、多くの人々はこう言います。「私は日本人です。(または、アメリカ人などです)。私は奴隷じゃない。私は好きなように生きられます。「あなたが自由になる」って、どういう意味でしょうか。」
けれども、イエス様は私たちにこう言われます。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。奴隷はいつまでも家にいるのではありません。
しかし、息子はいつまでもいます。ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。(34-36)
多くの人々は、自分の良心から解放されて、罪を好きなだけ犯せば、それは本当の自由だと思います。
ところが、事実は、最初は彼らが罪を犯すことを選んでも、最終的に彼らは罪の奴隷になることです。彼らはもうその罪を犯したくなくても、自分自身を止められません。ポルノの中毒とか、ギャンブル中毒とか、アルコール中毒とか、いろんな例があります。
それだけではなく、多くの人々は苦々しい思いの奴隷です。
または、彼らは自分の悪い習慣の奴隷のゆえに、自分の結婚や人間関係を壊しますが、その習慣を捨てられません。
しかし、私たちがイエス様に従うと、イエス様は私たちを解放してくださいます。
私たちは自分の人生を滅ぼすものに鎖で縛られていましたが、イエス様はその鎖を壊して、より優れた道を示してくださいます。それだけではなく、その道を歩む力を与えてくださいます。
イエス様は「しなさい」だけを言われません。むしろ、イエス様はこう言われます。「私の手を取ってください。一歩一歩、一緒に進みましょう。」
そして、私たちは少しずつ変わりつつあり、気がつけば、私たちは完全に解放されていました。
あなたはどうですか。もうあきらめてこう言っているでしょうか。「もう無理です。私はこの罪をやめられない。その罪が私の人間関係や私の人生を壊しているのに、やめられない。」
イエス様はあなたを解放できます。ただし、あなたはイエス様の助けを求めなくてはいけません。
「イエス様、あなたが私を愛して、私の最善を望んでおられることを信じます。だから、私はあなたの道を行きたいです。助けてください。」
そうすれば、あなたの人間関係やあなたの人生は癒されます。そして、あなたは本当の自由を知ります。
