時々、私たちに悪いことが起こると、私たちは「どうして?神様は私を罰しているのだろうか」と尋ねます。
実際、時々私たちの罪のために、神様は私たちが苦しむことを許されます。とはいえ、多くの場合、神様は積極的に私たちを罰しておられるのではありません。むしろ、私たちは自分の罪の自然の結果を受けるのです。
あなたがクリスチャンであり、神様があなたを赦してくださったかもしれませんが、この世において、罪の結果を避けられるとは限りません。多くの場合、私たちの罪のゆえに悪いことが起こります。
そして、神様がその罪の結果から私たちを守られないなら、私たちは神様を責めることができません。なぜなら、その苦しみによって、私たちは罪の悪さを理解できるようになるからです。
それは、私たちが聖くなる過程の一部です。その火を通して、神様は私たちを清めてくださいます。
とはいえ、私たちが罪を犯さなくても、私たちに悪いことが起こる場合もあります。
今日の箇所では、イエス様とその弟子たちは、生まれつき盲目の人を見ました。そして、弟子たちはイエス様にこう尋ねました。
先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。(ヨハネの福音書9:2)
その時代、多くの人々はこう考えていました。「あなたの体が不自由なら、それはあなたのせいです。神様があなたの罪のために罰しているのです。」
けれども、その人は生まれつき盲目でした。だから、弟子たちは混乱しました。「この人はご両親の罪のために盲目になったのでしょうか。それとも、もしかしたら子宮の中で、この人自身がなにか罪を犯したのでしょうか。」
すると、イエス様はこう答えられました。
この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(3)
イエス様が意味されたものは何だったのでしょうか。時々、私たちの苦しみは私たちの罪のためではありません。むしろ、神様は私たちを通して素晴らしいことをしようと思われるのです。
アメリカでは、ジョニー・エリクソン・タダという人がいます。彼女は十代の時にダイビング事故で四肢麻痺になりました。たくさんの人々が彼女のために祈りましたが、神様は彼女を癒されませんでした。
けれども、彼女を通して神様は多くの人々に触れられました。その事故が起こらなかったなら、ジョニーはそんな影響力を持つことはなかったでしょう。
神様は彼女を罰しておられませんでした。むしろ、彼女を通して神様のわざが現れたのです。
イエス様はこう言われました。
わたしが世にいる間、わたしは世の光です。(5)
イエス様は天国に戻られましたが、神様の栄光を現すために私たちの人生を照らしてくださいます。そして、私たちを通してイエス様は輝き、周りの人々に触れてくださいます。
だから、あなたが苦しんでいるなら、自己憐憫に浸らないでください。むしろ、このように祈りましょう。「神様、私を照らしてください。また私を通して、輝いてください。」
そうすれば、あなたの人生に神様の栄光が輝くでしょう。
