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ルカの福音書 ルカ11章

心にあるもの

ルカの福音書11:37-44

この箇所では、イエス様はパリサイ人を厳しく批判されます。なぜなら、彼らの心は汚れていたからです。

パリサイ人の外見はとても清く見えました。彼らは律法を細かく守っていました。しかし、実際には彼らは偽善者でした。

例えば、彼らの心は貪欲に満ちていました。彼らは十一献金をささげましたが、貧しい人を見ても助けずに通り過ぎました。彼らは、人よりもお金を愛していたからです。

また、彼らは神様の愛と知恵を持たずに、周囲の人々をすぐに裁いていました。そのため、イエス様が安息日に人々を癒された時、彼らはイエス様だけでなく、癒された人々さえも批判しました。(ヨハネ 9章)

彼らは預言者ミカの言葉を完全に忘れていました。

私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。

全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。

私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。

それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6:6-8)

だから、イエス様は彼らを批判されました。

さらに、イエス様は彼らのプライドも指摘されました。彼らがリーダーになろうとした理由は、人々に仕えることではなく、尊敬されるためだったのです。

そのため、イエス様はこう言われました。

おまえたちは人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。(ルカの福音書11:44)

どうしてイエス様はそう言われたのでしょうか。神様の律法によれば、墓は不潔なものとされていました。その墓に触れると、儀式的に不潔になってしまいます。

つまり、イエス様が意味されたことは、「あなたたちは汚れており、あなたと関わる人も汚れてしまう。それに、彼らはあなたを聖いと思っているため、あなたに触れたとき、自分が汚れたことにまったく気づかない。」ということです。

厳しい言葉ですね。

しかし、真理は時に厳しいものです。そして、パリサイ人はその真理を理解しなければなりませんでした。

彼らは周囲の人々を欺いたかもしれませんが、神様を欺くことはできませんでした。悔い改めなければ、彼らは裁かれるでしょう。残念なことに、多くのパリサイ人たちは決して悔い改めませんでした。

あなたはどうでしょうか。外見は清くても、心は汚れていませんか。

宗教的な行いだけでは不十分です。ただ教会に行くだけでは十分ではありません。十一献金をささげることも十分ではありません。

もし心の中にプライドや貪欲があるなら、その行動は意味を成しません。もし愛がなければ、あなたの良い行動は無意味なのです。

あなたには、神様への愛が必要です。そして、周りの人々への愛も必要です。

神様はあなたの心を見抜かれます。神様は、ご自身の御心に適う者を探されています。

あなたの心には何が入っていますか。

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