イエス様は、偽善や貪欲、この世のものを慕うことに関して警告された後、もう一つの重要なことについて弟子たちに訓戒を与えられました。それは、イエス様の再臨に備えて、彼らがしっかりと準備をしておく必要があるということです。
そして、イエス様はこう言われました。
腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。
主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。
まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。(ルカの福音書12:35-37)
つまり、イエス様の再臨が訪れても、私たちは驚くべきではありません。私たちは常にイエス様を待ち望んでいるはずです。そのため、イエス様が来られたとき、私たちはすぐにその声に応えるべきです。
とはいえ、私は準備ができていないことが多いと認めなければなりません。なぜなら、ときにこの世のものに心を奪われてしまうことがあるからです。
だからこそ、イエス様は私たちに警告を与えられるのです。
ところが、もし、そのしもべが、「主人の帰りはまだだ」と心の中で思い、下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに会わせるに違いありません。(45-46)
私たちは「イエス様はいつでも戻られるかもしれない」とよく言いますが、その言葉を本当に信じているでしょうか。
私たちは「イエス様は今日戻られない」と明言することはないかもしれません。けれども、私たちがどれほどイエス様が決して再臨されないかのように生きているでしょうか。
だから、私たちは兄弟姉妹を傷つけたり、悪口を言ったりするのでしょうか。または、この世のものに心を奪われ、のめりこんでしまうのでしょうか。そのように生きるなら、私たちは裁かれるのです。
そして、イエス様はこう言われました。
主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。
すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。(47-48)
要するに、あなたが知識を持てば持つほど、その責任も大きくなります。
とはいえ、「私は知らなかった」と言ったとしても、それは言い訳にはなりません。あなたは知るべきだったのです。神様の御心を積極的に求めるべきでした。そうしなければ、あなたは罰せられるのです。
これは非常に厳しい警告ですが、イエス様は希望に満ちた言葉も語られました。
では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、いったいだれでしょう。
主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。わたしは真実をあなたがたに告げます。主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。(42-44)
もし私たちが忠実に神様に仕えるなら、イエス様の再臨の際に報いを受けることができます。
あなたはどうでしょうか。神様はあなたにさまざまな責任を委ねられましたが、その務めを誠実に果たしているでしょうか。あなたは忠実に仕えているでしょうか。
イエス様の再臨に向けて準備できているでしょうか。
