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ルカの福音書 ルカ13章

目を覚ます必要

ルカの福音書13:20-38

マタイの福音書では、私たちはこの個所と同じイエス様のたとえを見ます。(多分、これは別の時ですけど)。

でも、この個所を読んだ時、私は前回このたとえを正しく解釈したかどうと疑問に思いました。

もしかしたら、イエス様は、同じたとえでいろんなことを教えていたかもしれません。(例えば、マタイ5:23-26ルカ12:54-59。)

とにかく、このたとえの別の解釈について話そうと思います。イエス様はこう言いました。

神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。(ルカの福音書13:20-21)

旧約聖書では、パン種は罪と不潔の描写でした。

例えば、過越の祭の食事を食べたとき、イスラエル人たちはパン種が入っていないパンを食べなくてはなりませんでした。彼らはそのパンを裂いて食べました。そして、そのパンは、彼らの体に命を与えました。

どうして彼らはパン種のないパンを食べたでしょうか。

一つの理由は、彼らがエジプトから逃れたとき、速く行かなくてはならなかったことです。そしてイスラエル人たちはパン種のないパンをすぐに焼くことができました。

でも、もう一つの理由がありました。イエス様は、自分自身を「命のパン」だと呼びました。そして最後の晩餐で、イエス様は過越の祭のパンを取り、裂いて、弟子たちにこう言いました。

これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。(ルカ22:19)

イエス様は、自分の罪のために十字架で死にませんでした。そのパンのように、イエス様の心にはパン種、つまり、罪や不潔がありませんでした。

でも私たちの罪のためにイエス様の体は裂かれました。イエス様は私たちの罪の罰を受けてくださいました。

そして、私たちがその命のパンを食べると、つまり、イエス様とその十字架の働きを信じて、受け入れると、イエス様は私たちに永遠の命を与えてくださいます。

でも私の要点に戻りましょう。パン種は普通、罪と不潔の描写です。でもこのたとえ話で、イエス様は、神の国をパンに広がっているパン種と比べます。どうしてでしょうか。

答えはちょっと怖いものです。神様の民の中で堕落が広がる可能性があるということですから。

アメリカの教会を見ると、それがすぐにわかると思います。例えば、監督教会と長老教会はゲイの結婚を認め始めました。

それは道徳的な堕落です。

でも、教会の歴史で、私たちはキリストに関する教えの堕落をも見ることができます。

だから教会では、多くの人々は処女懐胎(つまり、イエス様の父はヨセフではなく、神でした)や、イエス様の復活や、イエス様が神であることを否定します。それでも、彼は「私はクリスチャンだ」と言い張ります。

どうして、彼らはそう言えるでしょうか。彼らは聖書をも否定するから。もしクリスチャンたちが聖書を否定するなら、堕落は簡単に教会に入ることができます。

イエス様はそのことについて警告しました。

サタンは麦の中に毒麦を蒔きます。その毒麦の一つの種類は聖書に反対する教えです。私たちが注意しないと、そんな教えは教会の中に広がってしまいます。(マタイ13:24-30、36-43)。

だからイエス様は私たちに警告します。たくさんの人々は「イエス様を知っている」と主張するけど、実はイエス様を全然知りません。(24-28)

だからイエス様はこう言いました。

努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。(24)

私の要点は何でしょうか。目を覚ましましょう。

あなたの牧師の教えに注意を払いましょう。ポッドキャストで聞く説教に慎重になりましょう。クリスチャンの本を読むときも、注意深く判断しましょう。

もしその教えが聖書に合うなら、その教えを受け入れ、従いましょう。しかし、その教えが聖書に合わないなら、その教えを捨てなければなりません。

そうしなければ、堕落はあなたの心に容易に入り込んでしまいます。

だから、パウロはこう記しました。

しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。(第一テサロニケ5:21)

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