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ルカの福音書 ルカ13章

手遅れになる前

ルカの福音書13:22-30

地獄について考えることを好む人はほとんどいないでしょう。また、私たちは誰かが地獄に行くとは思いたくないものです。むしろ、私たちは麻原彰晃やヒトラーのような例外を除けば、すべての人々が天国に行くものと思いたいのです。

おそらく、イエス様の時代にも、多くの人々がそのように考えていたでしょう。だから、ある人がイエス様のもとに来て、こう尋ねました。

主よ。救われる者は少ないのですか。(ルカの福音書13:23)

もしかすると、その人の真意は、「天国へ行く方法をもっと簡単にできないでしょうか。もっと多くの人々が天国に入れるようになればいいのに。」ということだったのかもしれません。

その人の言葉について少し考えてみましょう。その人はユダヤ人でした。おそらく、彼は異邦人の救いについて深く考えたことはなかったでしょう。

彼はユダヤ人として、天国に入ることがどれほど難しいかを思い巡らしていたかもしれません。なぜなら、彼は自分自身を周囲の人々と比べていたからです。

パリサイ人たちや律法学者たちは律法を熱心に学び、神様の定めた規則だけでなく、人間が作り出した宗教的な戒律にも従おうとしていました。

だからこそ、その人がパリサイ人や律法学者たちを見たとき、こう思ったのかもしれません。

「これは到底無理だ。パリサイ人のように生きることはできない。それに加え、イエス様は、私たちの義がパリサイ人の義に勝らなければならないと教えられた。」(マタイ5:20)

イエス様の次の言葉は、その人にとって慰めにはならなかったでしょう。

努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。(24)

要するに、「はい。救われる人は少ないのです。」ということです。

そして、イエス様は私たちに警告されます。

家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、「ご主人さま。あけてください」と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、「あなたがたがどこの者か、私は知らない」と答えるでしょう。

つまり、その狭い門に入るには、期限が限られています。もし私たちがその門を通る前に死んでしまえば、もう手遅れなのです。

では、その門とは何でしょうか。

イエス様はこう言われました。

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。(ヨハネ10:9)

天国に入るためには、イエス様との関係が必要です。イエス様と、その十字架における御業を信じなければなりません。そうすれば、私たちは救われるのです。

そして、イエス様はユダヤ人たちに警告されました。

神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。

人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。(28-30)

多くのユダヤ人たちは、「私はユダヤ人だ。神様が私たちを御自分の民として選ばれたのだから、私は問題ない」と考えていました。

また、あるユダヤ人たちは、律法を守れば救われると思っていました。

けれども、イエス様が教えられたのは、イエス様を救い主として受け入れた者は救われるが、イエス様を拒絶する者は救われないということです。

そのため、多くのユダヤ人は天国で先頭に立つと考えていましたが、結局彼らは天国に入ることができませんでした。

そして、今でも多くの人々がユダヤ人たちと同じように考えています。

彼らはクリスチャンホームに生まれたから、自分がクリスチャンだと思い込んでいます。または、彼らは教会に通い、さまざまな良い行いをしているので、救われると考えているかもしれません。

しかし、そのような人々が天国に行くとは限りません。イエス様こそが門なのです。イエス様以外に、天国への門はありません。

手遅れになる前に、その門に入りますか。

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