相手に「恐れるな」と言うのは簡単ですが、自分自身が恐れに打ち勝つことは時に難しいものです。
とはいえ、イエス様は決して恐れに屈されることはありませんでした。
ある日、パリサイ人たちがイエス様のもとに来て、こう言いました。
ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。(ルカの福音書13:31)
このパリサイ人たちは本当にイエス様のことを心配していたのでしょうか。そうかもしれません。
パリサイ人の一人、ニコデモはイエス様を信じたようです。イエス様を信じたほかのパリサイ人たちもいたかもしれません。
それでも、私はこのパリサイ人たちの動機を疑います。
その時点では、ヘロデはイエス様を殺そうという意図を公にしていませんでした。
ヘロデが初めてイエス様について聞いたとき、バプテスマのヨハネがよみがえったのだと思ったようです。そのため、ヘロデはイエス様に会ってみたいと思いましたが、イエス様を殺そうとは考えていませんでした。(ルカ9:7-9)
そして、ついにイエス様と対面したとき、ヘロデはイエス様が奇跡を行うのを見せてほしいと願いました。(ルカ23:8)
もちろん、ヘロデがまったく危険ではないというわけではありません。
とはいえ、おそらくパリサイ人たちは彼の危険性を誇張したのではないでしょうか。なぜなら、彼らはイエス様に恐れを抱かせたかったからです。
そこで、イエス様はこう答えられました。
行って、あの狐にこう言いなさい。「よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。
だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。」(32-33)
簡単に言えば、「出ていけ。私は逃げない。」
なぜイエス様はヘロデを狐と呼ばれたのでしょうか。狐は狡猾であり、危険な動物だからです。また、ユダヤ人にとって、狐は価値のない者を象徴していました。
イエス様は御自身の教えに従われました。イエス様は蛇のように賢明な方でした。(マタイ10:16)
もちろん、イエス様は世の危険を軽視されたわけではありません。イエス様はその危険を十分に理解し、注意を払われました。
しかし同時に、人々を恐れることはありませんでした。彼らはイエス様の体を殺すことはできても、魂を滅ぼすことはできなかったからです。
それに、イエス様が死なれる時はまだ来ていませんでした。だからこそ、イエス様は天の父の御心に従うことを決断されたのです。
私たちもそのようにすべきです。神様に仕えようとするとき、私たちに敵対する者がいるかもしれません。その人は狡猾であり、危険な存在かもしれません。
そのような人には警戒しなければなりません。そうしなければ、私たちは傷つけられる可能性があります。
それでも、私たちは彼らを恐れるべきではありません。彼らに拒絶されることを恐れるべきではありません。彼らが私たちに何をするかを心配してはいけません。
むしろ、私たちは神様が命じられたことを忠実に行い続けましょう。
へブル人への手紙の著者はこう記しました。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(へブル12:2-3)
