この箇所では、私たちは興味深い文化的な状況を目の当たりにします。
イエス様がパリサイ人の家で食事をされる中で気付かれたのは、招かれた人々が一番良い席を求めて座ろうとしていることでした。
その文化では、一番偉い人は主人の右側に座りました。そして、その席が埋まっている場合、人々は主人の左側に座ろうとしました。それでも座れなければ、できるだけ主人の近くの席に座ろうとしました。
けれども、イエス様はこう言われました。
「一番良い席を求めてはいけません。もし主人が『この人に席を譲りなさい』と言うなら、あなたは恥ずかしい思いをすることになります。むしろ、末席に座りなさい。そうすれば、主人が『どうぞもっと上席にお進みください』と言い、周囲の人々から尊敬を受けるかもしれません。」
日本ではこのような状況に直面することはあまりないかもしれません。しかし、教会では、多くの人々がより高い立場を求めることがあります。たとえば、牧師やワーシップリーダーのように、尊敬される立場になりたいと思う人もいるでしょう。
ですが、そのような立場を求めるのではなく、むしろ謙遜な態度を取り、小さな仕事でも忠実に仕えましょう。たとえば、礼拝のために椅子をセットしたり、人々を迎えて入口で挨拶したりすることです。
忠実に仕える中で、心が準備できたときには、神様のタイミングでイエス様があなたにもっと大きな仕事を与えられるかもしれません。
けれども、もしあなたが周囲の人々を批判し、「私の方があの人よりもその仕事が上手にできるのに」と言ってばかりいるなら、結局のところ恥ずかしい思いをすることになります。
イエス様がこの世におられた時、謙遜な態度を取られました。イエス様はユダヤ人の王として高い地位につこうとはされませんでした。
神様でありながら最上のものを求められることはなく、むしろしもべの姿勢を取り、十字架にまで行き、私たちの罪のために死んでくださいました。
だからこそ、パウロはこう記しました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピりピ2:9-11)
だからイエス様のようになりましょう。謙遜な態度を取って、できるだけ周りの人々に仕えましょう。そして、神様のタイミングであなたは高くしてくださいます。
