イエス様はパリサイ人たちに、神の国に入ることができると仮定しないように警告された後、いつものように例え話を語られました。
その話では、ある人が大勢の人々を宴会に招きました。
その時代、時計を持っている人はいませんでしたので、招待された人々は宴会の日付を知っていましたが、何時に始まるかまでは分かりませんでした。そこで主人は、彼らの家にしもべを送り、「宴会の準備が整いました。どうぞお越しください」と伝えました。
ところが、その日に多くの人々が招待を断りました。彼らはさまざまな言い訳をしましたが、どれも許されない言い訳でした。
ある人はこう言いました。「畑を買ったので、どうしても見に行かなければなりません。申し訳ありませんが、お断りいたします。」(彼はその畑をまだ見ずに購入したのでしょうか。)
別の人はこう言いました。「五頭の牛を買ったので、それを試しに行くところです。申し訳ありませんが、お断りいたします。」(つまり、新しい「おもちゃ」を買ったので、宴会に行けないのです。)
さらにもう一人はこう言いました。「結婚したので、伺うことができません。」
もちろん、彼が最近結婚したのは良いことでしたが、それは宴会に行かない理由にはなりませんでした。おそらく、その奥さんと一緒に出席することもできたはずです。
しかし、聖霊様が人々の心の扉を叩かれるとき、どれほどの人々が言い訳をするのでしょうか。
「私は忙しすぎる。他に予定があります。」
または、彼らはこの世の物事やお金、財産に夢中になり、「私はそれを楽しみたいのです。後でイエス様を慕うかもしれません。」と言うかもしれません。
さらに、彼らの家族が障害となる場合もあります。「クリスチャンになると、夫が何を言うだろう。両親はどう思うだろう。家族との関係が複雑になってしまうかもしれない。」
けれども、神様はそのような言い訳を受け入れられません。
そして、そこには危険が伴います。神様は何度も招き続けてくださるかもしれませんが、今あなたが受け取った招待が、あなたにとって最後のものかもしれません。
明日交通事故に遭い、命を落とすことだってあり得ます。誰も自分がいつ亡くなるのかを知ることはできません。ですから、言い訳をしないでください。神様の招待を受け入れましょう。
だからこそ、パウロはこう記しました。
確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(第一コリント6:2)
