私たちの社会では、「お金」という神が非常に人気です。多くの人々がお金を慕い求め、それを追いかけます。彼らはお金のために働き、時にはそのために命を落とします。(例えば、過労死です。)
しかし、イエス様はこう言われました。
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。
あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。(ルカの福音書16:13)
私は以前も言いましたが、私にとってこの教えはとても厳しいものです。特に、お金を使って人に仕えることは難しいと感じます。だからこそ、私は自分自身に問いかけるべきです。私は誰に仕えているのでしょうか。
私はお金に仕えているのでしょうか。懸命に働き、手にした財産をできる限り手放さずに守ろうとしているだろうか。それとも、その財産を神様に仕えるための道具と考えているだろうか。神様は、私の財産にいつでも、どこでもアクセスできるだろうか。
もしそうでないなら、私は神様ではなく、お金に仕えていることになります。それは偶像礼拝です。
これはパリサイ人たちの問題でもありました。彼らはイエス様の言葉を聞いたとき、あざ笑いました。
その時代、人々は富を神様の祝福のしるしだと考えていました。
「神様は義人だけを祝福されるはずだ。私は多くの財産を持っているのだから、私は義人に違いない。」
それだけではなく、彼らは貧しい人々を見下しました。そして、イエス様までも侮りました。つまり、彼らは偶像礼拝の罪を犯しただけでなく、プライドという罪も犯したのです。
あなたはどうでしょうか。あなたは自分の持ち物を誇っているでしょうか。あなたの持ち物が、あなたの神になってはいないでしょうか。あなたはお金に仕えているために、神様の国のために周りの人々に触れることができないでしょうか。
あなたは何に仕えているでしょうか。誰に仕えているでしょうか。
