私は以前にも言いましたが、パリサイ人たちと祭司たちの大きな問題は、彼らがイエス様の言葉を聞き、イエス様の御業を目の当たりにしていながら、それでもなおイエス様を信じなかったことです。
だからこそ、この箇所で彼らは危機に直面しました。
イエス様はラザロをよみがえらせました。そして、彼らはその奇跡を否定できませんでした。皆が、ラザロが4日間死んでいたのに、イエス様が彼をよみがえらせたことを知っていました。そのため、多くの人々がイエス様を信じるようになりました。
けれども、パリサイ人たちと祭司たちの反応はどうだったでしょうか。
「私たちはイエス様の御業をよく知っています。私たちはその奇跡を否定できません。それでも私たちはまだ信じません。」
イエス様がメシアである証拠は十分にありました。それにもかかわらず、彼らはどうしてもイエス様を信じようとはしませんでした。
一方で、彼らはユダヤ人たちの反応に思い悩みました。つまり、ユダヤ人たちがイエス様を王にしようとすれば、ローマ帝国がイスラエルの土地と国民を奪い取ることになる、という懸念です。
ヨハネは、大祭司カヤパの言葉の皮肉さを認識しました。カヤパは次のように言いました。
あなたがたは全然何もわかっていない。
ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。(ヨハネの福音書11:49-50)
カヤパが意味したのは、ローマが彼らの国を奪い取るよりも、イエス様が死ぬ方が方便だということです。
しかし、ヨハネは次のように解説しました。
ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。(51-52)
自分の口から発せられる真理さえ認識できないほど、彼らのプライドと野心は彼らの目を曇らせていました。
あなたはどうでしょうか。真理を聞いたとき、その真理を認識できるでしょうか。
イエス様は、「私は真理だ」と言われました。
真理を理解するためには、あなたはたった一つのことを認めなければなりません。つまり、イエス様が生ける神の御子キリストであることです。
それを認めない限り、あなたは決して真理を理解することはできません。
あなたはどうでしょうか。真理を認識できるでしょうか。
